如月のささやき

クラナッハ展を見にいった。

上野の西洋美術館だったが、クラナッハの作品に関連していろいろな画家たちの作品
の展示があり、かなり斬新な企画だなあと思った。突然ピカソや、デューラーの作品が
現れてくる、クラナッハのアダムとイヴが基になっている、全く違うアダムとイヴを
鑑賞することができるのだ。果てはバレーの振り付けの写真だったり、そして
100人の中国人贋作画家の手による正義のアレゴリー像、100枚だ。
一枚として同じものはないのはともかくとして、(時間制限や、人数も足りなくて子供も入っていたとか?)
それら100個の顔が一瞬なんだけど、東洋的な印象を見せたのは私の主観故か?

500年後の誘惑、というタイトルなんだが、裸体画であっても、体よりも
顔つきの方にいろいろが見えて面白かった。肉体自体はそんなに肉感的
ではないし、単純化されている、といえばそう。
裸体の女たちの顔の表情は抑え気味だが、
頭のかしげ具合とか体の曲げ方とか姿勢の何かひとひねりで
いやらしいとまでは言わないが、媚びが感じられる。
下賎な表情を漫画チックにまであからさまに出している女達もいる。

しかし着衣の女、特にユディトの顔は他のどの女たちよりも美しかった。
未亡人のユディットが自分の考えで、単身侍女を連れて敵陣へゆき
大将の寝首を取るという旧約聖書の話からの題材だが、
ことを成し遂げた美女の顔はこの展示会の中での最高の美しさを見せていた。
写真ではその美しさが分らなかった。本物の前に立って初めてその美しさに打たれた。
(蛇足だが、ウイーンの世紀末の画家クリムトのあの大きな妖艶な美女もユディットらいしが
物語からだと少々的外れのような気がする)

その右隣のちょっと年増の着衣の女も美しかったけどユディットには負ける。
正義のアレゴリー像は同じ系統の顔だけど美しさは感じなかった。

そしてびっくりが肖像画なのだ。
アンナ・フォン・デーネマルクという名前からすると、デンマークの女王様かな、
大きな絵だ。いかにも意地悪なケチなお金持ちというか、リアルな
冷たいばあさまの表情で、これで注文主は怒り出さなかったんだろうか・・・?
男たちの顔も単純に性格の良さの出たものもあるが、ほとんどに欲深かったり、
権威主義だったり、小心の表情だったりがチラリちらりと出ている。
衣装は素晴らしいし背景も美しいからそれでご満足頂いているのだろうが、
こんなに内面性を正直に描き出してしまって問題は起きなかったのだろうか。
いや、彼は当時の成功者、これでよかったということなんだろう。
人は自分の顔を見慣れていて一番いいと思っていて、似ていればご満足だ、と、
解説をしてくれた友人がいた。

そんな余計な心配はしなくてよくて、クラナッハという画家が
人の内面を絶妙なる表情として描くことの出来た素晴らしい肖像画家だったということだ。

宗教革命家ルターの友人だったらしく、彼の肖像画が何枚もあった。
最初のルターの顔、つまり若い頃の顔は素晴らしくいい。
ルターが教会改革に着手した頃は彼は全く正しかった、
という文章を読んだことがあるが、この絵を見て、それを納得した。
当時のカトリック教会が腐敗しきっていて、聖職者であった若きルターが
一刀両断に切り裂いたのだ。すごい。その証がこの美しい顔だ。
しかし当然だんだん変化する、ご苦労が多くなったんだろうか、という表情かなあ。

キリスト教に関心のない人たちは、宗教画などはうんざりしないのだろうか。
日本でのキリスト教徒は1%に満たないとか。
西洋画の展示会は大体多くの日本人を惹きつけるが、クリスチャンですら宗教画の
多さにはうんざりすることがあるのに、何を感じているんだろう、と時々思うが、
いや、単に文化としてみているのだろう。
そして太古の昔から今に至る日本人の貪欲なまでの好奇心かなあ。世界中の文化を
この小さな島国に取り入れ長い時間をかけて消化し発酵させてきたわけだから。
今もコツコツと、刻一刻を惜しんで様々な情報を取り入れんと励んでいるのだ。

好奇心はいい。

文化は差があるからおもしろい、ということだ。