師走のささやき

平成生まれの学生さんに、「学生紛争というのは、僕たちにとっては歴史上の出来事です」
と言われ、ハッとした。もう自分が歴史上の人物か?

戦争体験を話す人たちが急速に少なくなっている、ということが言われるが、さもありなん、
70年前の終戦時に20歳だったら、今や90歳だし、30歳だったら100歳だもの。
なんというスピードなんだ。

学生紛争と言われている学生運動があってから、もう50年近くが経とうとしている。
私のその頃の体験とはどういうものだったんだろう。
記録としてきちんと語れる人もいるだろうが、私は傍観者だったので、ただ感じたことを確かめるだけだが。

私は学生の時は文学好きで勉強もろくにせず、旅、山、酒好きで友達とわいわい楽しく
過ごしていただけだった。
4年生になったとき、突然学内が騒然としてきた。
何が問題だったのかといえば「大学の自治」だった。
これはきっかけに過ぎず、いろいろの不満を噴出させ騒動に追い込もうとする背後の動きが何か
あったような気がする。
東京の多くの大学でも同じように騒動が起こり高校生も巻き込むようになり、
当時としてはかなり大きな社会問題だったと思う。我が校でも初めは学生が学内にバリケードを作り、
篭り、授業のボイコット等をしていたのだけれど、ある時、逆封鎖という機動隊による
学校側からの封鎖が行われ、学生は入れなくなってしまい、授業は実質なし、という無法状態!
四年生はレポートで足りない単位を補ったりのかなりのいい加減さで(私の場合は)
追い出されるように卒業したのだ。

フランスでもソルボンヌで同じように学生たちがバリケードを作って学内に篭もり、
しかしあちらでは、ある要求は話し合いで戦いとったとか・・・
日本では学生側の戦果は全くなく、そののちの反動が大きくなっただけだったと思う。

時代の空気というものがある。
あの時の空気は上から大きな重たいもので押さえつけられている、という閉塞感だったと思う。
自由という青い鳥を求めて、若者たちは喘いでいたと思う。私も自由を求めていた。
あれだけ自由に楽しく学生生活をエンジョイしていたにも関わらず、世の中の大きな枠の中での
息苦しさは感じていた。
社会を変革しよう、というスローガンには十分に同調できた。

周りの学生達は知らない間にどこかの派閥に入っていた。徒党を組み、わからぬ言葉を吐いていた。
左派のグループ内でもいろいろ相違があって、対立をしているらしく、内ゲバにまで及んだ。
私は心情的には常にアンチ保守である故左派なのだが、
どこかで保守のど真ん中にいたりする傾向もあって、結局は中立であった。

中立でいる私に右派からも左派からも誘いがかかってくる。
私がはっきりと覚えているのは、どちら側から誘われても、「このようなやり方で世の中が良くなるとは
到底思えない。世の中を良くするには、一人ひとりの心を変えることしかない」と私が答えていたことだ。

結果として、よきものはすっかり消えてしまい、馬鹿げたものが目立つ形で押さえ込まれ、世の権力者にとって
都合のいい結末となってしまったようだが、当時の閉塞感のガス抜きはあの学生運動で、ある意味出来たと思う。

ベルリンの壁が崩壊された、という大事件はそれからしばらく経って起きている。
私はその後10年ほど日本を離れてしまったので、客観視は出来ると思うのだけど、
日本の体制側は相も変わらず壁作りに励み、閉塞感を醸し出そうとしている・・・今に至るまで。
しかし時代の流れというのがあって、これには逆らえないだろう。遅々とはしているが、
個々の人の心が前より自由になっていると思うし、視野は確実に広がった。

そして、一人ひとりの心を変えること、という命題は、日々の具体的な命題と
なり、私に迫ってきている。

人の心は変えることはできない、ということがこの50年で分かってきたのだ。
しかし人の心は変わる、ということもわかってきたのだ。
変わるのだ、歴史は、同じようでもあるが、全く同じものはないのだ。

Nob