わたしのはなし
誰かが何かを話す、誰かがそれを聴く。そこから何かがはじまります。
「わたしのはなし」は軽やかなコミュニケーションの場。
毎回一人の話し手に、話したい話を語ってもらい、その後、参加者も加わって
感想や意見を自由に語り合います。
言わばみんなの「わたしのはなし」を語り聴く場です。
人の話を聴いてみたい人も、自分の話を聴いてほしい人も、老いも若きも来てみて下さい。
きっと新鮮な驚きに出会いますよ。
12月と1月は ”わたしのはなし”をお休みいたします。 以下は 2月の 予告となります。詳しい事はあとになりますが とても興味深い内容 (いつもそうでしたけど) なので 広く知っていただきたいので さっそく おひろめです。
「釈譜詳節」 という 15世紀に 韓国で 世祖という王様によってハングルで編集された 仏典を 日本語に 翻訳なさった方がいらっしゃるのです。河瀬幸夫さんといいます。その方のお話です。 日本での仏教というと 宗派に別れているため お釈迦様の教えそのもの、というものが 捉えにくく感じていましたが 別れる以前の仏典、とでもいえましょうか、 古い説話などで成り立っているようですので 内容的な興味深さのみならず 言語的にも 歴史的にも あいまいとなっている 韓国と日本の関係性を 解く鍵が含まれているようです。 比較宗教的に見てもとても重要だと思います。
ちょっと説明を伺っただけでも わくわくしてきました。
2月の26日 午後2時 の予定です。
堀越
「わたしのはなし」 第六幕
「3・11を人類史的に見る」 と題した古川さんの話は、3・11に至るまでの 人類の歩みをふりかえり、さらに、その上に立って、3・11以後人類が歩むべき 道を指し示そうと試みる極めてスケールの大きな、もし本にしたら何冊にもなりそうな ボリュームの話であった。
人類が「文明」をもってから、戦争と格差と差別が始まった。それは人類の五百万年に 及ぶ歴史の、わずか五千年のことに過ぎない。古川さんの思考はここを起点にして 多様に展開する。日本列島においては弥生時代から「文明」が始まるが、そこで 出現した高度な農耕社会は、「栽培植物」と「雑草」とを明確に区別する発想を 生んだ。その社会では、縄文時代にはあり得なかった差別が発生する。
人類が本来保ち続けていた人間の平等性が崩れたのである。
弥生時代に端を発する日本列島の「国家」は、その後トレーラーのように縄文的なもの を押しつぶしながら拡大を続け、今やこの列島にすむ人の生活を覆い尽くし、為に 表面的には縄文の思想は消えてなくなってしまったかに見える。しかし、古川さんは こう考える、「縄文の記憶」は現代においても脈々と継承されている、と。 では、それはどこにあるのか。
かつて詩人の宋左近もまた、「縄文の伏流水」ということばで、古川さんと同様の思想を 表現していた。宋さんは言う。「縄文の伏流水」は一且地下に流れ込んでも、はるかな 時を経て、例えば芭蕉や宮沢賢治のような優れた芸術家の表現から噴出する、と。 一方古川さんは 「縄文の記憶」が「日本国憲法」に 就中その前文に見出せると言う。 「日本国憲法前文」は 「平等」の思想で貫かれている、それこそが「縄文の記憶」だと 言うのだ。
大地と共生し、人と人とが尊敬を基盤にしてつながり合う。「平等」の思想が指し示すのは そういう人間の生き方であり、その生き方こそが、今私達を苦しめている原発の対極にある 新しい世界を創り出す。そしてそのような新しい世界を創造するに当たっては、現に「平等」 の生き方を実践し続けているアメリカ先住民イロコイの人々から学ぶ所が多いと古川さんは言う。
例えばイロコイでは、集団の意思を決定するのに多数決という方法をとらず、全員が一致するまで 徹底的に話し合うという原則を貫いている。多数決が、必然的に多数と少数の区別をつくり、 それによって、話し合いを尽くすことなく多数が少数を支配するという構造を生み出す。 「民主的」と言い難い意思決定方法であることは、原罪の日本国の社会が証明している。 それにもかかわらず、これまでこの「民主国家日本」では多数決に代る方法を誰も思い つかないで来た。あるいは考えてみようとさえしなかった。
「日本国」全体の市民の議論らしい議論もないままに導入され推進された原発制作の果てに 爆発した福島の原発事故」は、「民主的でない民主主義」の生み出した悲劇だとも言えよう。 イロコイのような「全員一致」は果たして私達の社会にも可能なのか。「何かを決める時には 全員一致などといっていられない。多数決によるしかない」と発言した参加者もいた。 この思いは恐らく、「日本国」の中にすむ多くの人の共有する所だろう。私達は多数決を 民主主義に欠かせない意思決定方法と教えられ、そう信じてきた。まるで信仰のように。 イロコイの「全員一致」思想はその信仰を根底からゆさぶる。
古川さんは原子力発電所の問題にも触れ、そもそも原発の被爆労働者は貧困を逃れるために 体を売っているのであった、就職難という貧困がなければ、原発は維持出来ない物だと言う。 この指摘は参加者に衝撃を与えたようだ。差別のある社会だからこそ生み出された原発という 現代の怪物は、人間の差別を食い物にして肥え太ってきたのだ。所有原発五十四基という 押しも押されもせぬ世界第三位の原発大国「日本」はそれに見合う巨大な差別を生み出していたのか。
「平等」な社会を実現する事なしに、原発の問題は解決しない。そう思わせられた古川さんの 「わたしのはなし」であった。
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池川明 さんは 六浦で 産婦人科医としてクリニックを開いていらっしゃいます。
10年程前から 「胎児の記憶」 について 発表なさってこられました。
「胎教」 という言葉は 古くからありました。
妊娠中は心して美しいものを見るように、穏やかな心でいるように、との教えだったと思います。
胎児への 影響を 考えてのことでしょう。
しかしそれとはまったく正反対の側からの アプローチでしたね。
大人の心を揺さぶるお話でした。
生まれてきた子供たちが はっきりと胎内での記憶を語る、ということは
池川先生、ある時に 気が付かれたそうです。
狭い胎内での記憶だけでなく その前の記憶もある。
お空の上で お母さんを選んで ぴゅーっときたの・・・
子供は親を選んで生まれてくるらしい
優しそうなお母さんを選んだり、さみしそうなお母さんを幸せにするために
選んだり、ちょっと難しくなりそうな人生を選んでみたり、いろいろのよう。
この世は ある種の 学校?(この言葉は抵抗感のある人が多いです)
輪廻転生で こんどは これこれの 役割、課題だ、と知っている。
神様のような人もいるみたいだし、天使のような人もいるみたいだと。
私も 試練は 受け取るべき、と思っているし、
大きな試練を クリアしたあとの 恵は 本当に大きい、ということを
体験的に知っている。
自分の人生が 波乱万丈で こんな風に なるであろう、ということは なんとなく子供のときから
分かっていた、ということに お話を伺っていて 気がついてしまった。
何が起こっても 知っていたと言うか、納得していたみたいだ。
お空の上で そう 決めてきたらしい。
科学的に証明できない事で あるわけだけど、
10年前には このような ことを話す科学者はほとんどいなかったが
今は 若い医学生も 共鳴するし、ぽつぽつと あちこちで
魂やら なんやらの 人間に関する 摩訶不思議な 事柄を
述べる人達が でてきているようだと。
一般人は もっとスピードが速いかもしれない。
宗教をからめれば 当たり前の世界でもあるわけだもの。
池川先生の 博識な事、びっくり。
心の柔軟な事 びっくり。
何人か残って えんえんと 話は 続きました。
楽しかった!!
ばおばぶオーナー
堀越信代
人類史から見た三一一
古川博資
2011年3月11日は人類史上の転機になるでしょう。
500万年の人類史に文明は5000年です。15000年の縄文に弥生以降は3000年です。日本資本主義は144年です。
江戸時代は自然とともに暮らし、電気はありません。水車や家畜が動力となりました。完全なリサイクル社会で未来にゴミは残さなかった。その意味から考えると縄文文化の記憶が継承されていると言える。
大日本帝国78年間は植民地獲得の侵略戦争を重ねました。1945年8月15日の大戦終結は人類史上の転機となりました。全世界の人々と日本の人々の平和の祈念が日本国憲法に結晶しました。平等の思想・縄文の記憶が蘇りました。
ヒロシマ・ナガサキからフクシマの66年間は原爆と原発の日本であったことを思い知らされた。2011年3月11日の東日本大地震と東京電力福島第一原発事故があって日本に稼働54基予定14基もの原発があったことを初めて日本人は自覚した。
原発なしではプルトニウムはつくり出されません。原爆はつくれません。原発のゴミ(死の灰)は100万年未来まで無害にはなりません。特にここ40年の原発による電力のために地球を汚しています。いのちを司る遺伝子が破壊されるのです。
人類史上最大の犯罪を現在進行させていたことが全世界で自覚されはじめました。
原発のある世界には原発労働者が必要です。格差社会いわゆる貧困と就職難の社会なしでは被曝覚悟の労働者はありえません。金のためなら人権を売り渡す社会が原発を稼働させていたのです。日本の食料もエネルギーもアメリカの手の内です。安保に代わって憲法が出番です。
東日本大地震M9はもう一つ教えています。それは地球は生きているということです。活動期に入っているということです。文明以来忘れてきていた大地との折り合いを取り戻さなければなりません。日本国憲法の前提に「地球に悪いことをしない」の誓いを立てなくてはなりません。
縄文の記憶をとりもどすことが再びはじまったという点で人類史上の転機です。
23日に 皆で 以上のような 古川さんの お話を 基にして 各々の考えを 述べてゆきました。
原発推進派 であると 自分を表明する方 が この ばおばぶの 話し合いの 席に初めて現れました。
しかし 次の 有効な 手段が 実用化されるまでの つなぎの 手段として、ということではありました。
いわゆる 財界のものの言い方が ばおばぶで 聴くことが出来たわけですが
今現在の生活のレベルを 維持しようという大前提の上にたっているもので あるとの 条件付けはありました。
反対意見を お互いに きちんと聞く ということが 出来て とても良かった と思います。
憲法の前文が とてもすばらしいものであることを 教えていただけた 時間でもありました。
そして 終った後に 古川さんから 次のような メールを頂きました。
ばおばぶ 一万年の芽 信代さま
「一万年の芽」から
降り来ることばがありました博資(ひろすけ)は
「縄文のこころ=日本国憲法前文」を発信するために生まれてきていたとダテに5月3日に
生誕したのではなかった前文を読みさえすればだれもが
私と同じこころを得るものと思っていた発信しなさい
そのとき
初めて
受信されるでしょうばおばぶ 「一万年の芽」の発信を
私が受信したように芽はどう膨らむかはヒトそれぞれなんです
そのことを松崎さんが教えてくれました
彼はイロコイの全会一致を導く「語らい」をやっているではないかと私には見えてきた彼も降り来たる発信をしていた
私はそのように受信した
降り来ることばをきく厳かな場があるものです
ばおばぶ
の食の一つ一つ
器の一つ一つ
たたずまいと
吹き渡る風と
赤い太陽と
そして
のぶよさんと受信は送信したそのままでは決してなく
受信は送信者よりより豊かで
多様なのです発信しなさい
縄文のこころは
「未来は人間らしく懐かしいものだ」と気づくでしょう弥生の文化は文明につながり
未来は「進歩」だから今より退歩はあり得ないと思うでしょう
ここ40年間原発の電力とあるいてきていた
再稼働が
代替えエネルギーがないかきり
と主張する三一一は大地の声なのに
一向に聞きやしない
大地は揺さぶりつつけ
第二のフクシマが起こるでしょう「未来は懐かしいものだ」と発信続けたときやっと一万年の芽は膨らむことができる。
私にも一つの芽を出させることができたでしょうか
ヒトには必ずgood mind がある
それは懐かしさを感じ取り、人間らしさを希求する
どんなヒトをも まるごと受け止めることができるようになりました
誰にでも「縄文=前文」を発信続けていきます
自らが憲法(前文)となる!
2011.10.25
九十九山人博資
「わたしのはなし」 第五幕
- 話す人:
- 上斗米 正子(かみとまいまさこ)さん
- タイトル:
- ことばが未来をひらく ~多言語活動の実践から~
- 日時
- 2011年9月4日(日)午後2時
- 参加費
- 1500円
◇Baobabの『場』で◇
遥か彼方、往復60億kmの宇宙大航海を小惑星探査機「はやぶさ」が成し遂げる時代、宇宙からみると星のひとつの地球、その住人は地球人、その人々が話す言葉は6000言語・・あるいはひとつ? 2011年4月から小学校で外国語活動が導入されたり、企業の社内英語化も進み英語でコミュニケーション取れない人は昇進しないなど、今なお外国語教育をめぐる周辺は加熱するばかりだが、このあたりで外国語コンプレックスは終わりにしよう。人間は生まれた環境のことばをいつのまにか、自然に、そしてだれでも話せるようになる。アジアやヨーロッパなど3・4ヵ国語話されている地域や国では、複数のことばをいつの間にか自然に話しているのだから。
地球上の人間のこの自然な営みに注目して、「ことばと人間を自然科学する」ヒッポファミリークラブの多言語習得プロジェクトにわたしも仲間や家族とともに取り組んだ。今年30周年を迎えた多言語活動の実践から、誰でも、何歳からでも、何語でも話せるようになると実感している。Baobabに集う皆さんのことばの『場』の中で、お互いの内にある想いや考えが引き出され、響きあい、外国語や日本語の壁がいつのまにか消えて、新しい「ことば」と「人」に出会うチャレンジをしてみませんか!?
◇プロフィール◇

川崎市在住、青森県八戸市生まれ。幼少から外国に憧れるが、長年外国語コンプレックスに囚われる。立教大学卒業後、フランス・ディジョン夏季講座と上智大学地中海洋上セミナーに参加帰国後、榊原陽氏(現言語交流研究所代表理事)の英語教育団体に参画。1981年言語交流研究所創立以来多言語活動の実践・推進と、ホームステイ交流(青少年・家族・高校生交換留学)の開拓;ヨーロッパ、アジア、ロシア(ソビエト時代から)などに尽力。言語交流研究所「7ヵ国語で話そう」教育講演会、学校、行政、校長協議会などで講演も。
現在は横浜市神奈川区でなみなみヒッポファミリークラブ主宰、言語交流研究所参事。今年2月には、LEX Americaが主催するノームチョムスキー博士(MIT言語学名誉教授)による「Language and Human nature, What is Language?」ボストン講演会に参加。スザンヌフリン教授(MIT言語獲得学・言語学)はヒッポファミリークラブの実践成果を高く評価し応援をいただいている。八戸市豊島和子舞踊研究所第一期生。松本奉山女史に水墨画師事。著書「有飛行―有元利夫と仲間たち」風濤社刊。人と人をことばで繋ぐ多言語活動を教育現場やコミニティづくりに生かしたいとチャレンジは続く・・・
「わたしのはなし」 上斗米正子さん
先日 来月して五ヶ月になるというアメリカ人のモルモン教宣教師と話す機会があった。 彼の日本語が余りに達者なので、日本語はどのくらい勉強しているのか聞いてみた。 来日前二ヶ月と来日後五ヶ月、計七ヶ月だと言う。私はたまげてしまった。彼はかなり こみいったキリスト教の話を、キリスト教の知識の乏しい私に日本語で説明し、しかも それに対する私の感想も充分に理解したのである。
一体たったの七ヶ月でここまで外国語を習得できるものだのだろうか。私はといえば、 中学、高校、浪人、大学と計九年間も英語を勉強してついに、まともな会話一つ 出来るようにならなかったのだ。この違いは何だ。
多言語文化活動で知られたヒッポファミリークラブで 長年精力的な活動を続けて来た 上斗米正子さんの話は 外国語の苦手な人間にとってまるで天啓のようだった。 「人間は生まれた瞬間から、母親の言葉を他の無数の音の中から聞き分け、自然に 身につけるのです」と言う。そして赤ちゃんのように、何も考えずに外国語を習得できるのだと。 それは何歳になっても可能だし、しかも何ヶ国語でも覚えられる、人間は本来何語でも 話す能力がある、という。
中学、高校のころ 「現在完了」とか「過去分詞」とか「仮定法」とか英文法を必死になって (でもないが一応真面目に)勉強したのはあれは何になったのだろう。
前半、上斗米さんの話が一通り終わりいつものティータイム。後半はヒッポ体験の ミニワークショップを参加者全員で楽しんだ。韓国語の歌に合わせて「LOVE]を 指で作る手遊び。その後は次々と流れるどこの国の言葉ともわからない外国語を 聞いて、聞き取れた音を意味もわからずにひたすら真似る。真似しながら何も考えていない 自分に気付いた。これが赤ちゃんが言語を習得して行く時の感覚なのかとちょっと思った。
勿論これだけで何かが分かるはずでもないが、とにかく気持ちがよかった。外国語が 習得できるかどうかは別として、これは老化防止に効果がありそうだ。
参加者の感想の中に、「わからかくてもこわくないんだ」 というのがあった。まさしくそういう風に 心を開く力がヒッポのやり方には秘められているらしい。上斗米さんは青森県八戸市の 出身だが、かっては自分の母国語である南部弁にコンプレックスがあり人前で使えなかったそうである。 ヒッポの活動をするようになり、沢山の外国語を話すようになると 南部弁を話すのが平気になった。 実際、この日も話の間に挟まれていた南部弁はとても美しくひびいていた。
彼女は「多言語に開ける」と何度も言っていたが、多分「多言語に開けた」状態の中では 南部弁が一つの言葉ならフランス語も一つの言葉だと思えるし、世界中の人類の言葉が 同じ重さだとも おもえるのだろう。フランス語は「フランス弁」である、ロシア語は「ロシア弁」だ。 英語も、イタリア語も、ヒンズー語も、スワヒリ語も アイヌ語も あらゆる言語は 「人類語」の 一つの方言である。こう考える事は、とりも直さず、全ての人間が同等だと認めることだ。
やっぱり言葉の世界は深い。
「わたしのはなし」 第四幕
- 話す人:
- 松尾直子さん
- 日時
- 2011年7月3日(日)午後2時
松尾直子さん を終えての感想
松崎好男
『風の谷のナウシカ』を思い出した。それもアニメーションではなく漫画の方だ。 漫画『風の谷のナウシカ』は、アニメーションで描かれた世界を遥かに超えた深淵に いたろうと試みた。その冒険は必ずしも成功したとは言えないだろう。だが、 作品中に鏤められた描字や言葉は、時に読む者に衝撃的ともいえる鮮烈な 印象を残す。あの言葉もその一つだった。
『命は闇の中にまたたく光だ』
物語の終盤、数々の絶望にうちひしがれたナウシカはそこから立ち上がり、 自己の全存在を賭けて叫んだのだ。
松尾直子さんはカウンセラーとしての経験から、苦しみの中でもがく人たちの 心の闇の中にも必ず光が見えるものだと言う。そして、その光は、その人が本当は このように生きたいと思う生き方に直結していると。さらに闇の中に体ごとつかってしまった 人間は光が見えなくなってしまっているのであって本人が持っている光を見つけ出す手伝いを するのがカウンセラーとしての自分の仕事だと言う。結局、闇と光を同時に持つ自分の ありのままの心に気づくと、人間は苦しみから脱出できると松尾さんは考えているらしい。
今、「考えている」と書いたが、本当は「知っている」と言いなおしたほうがいいのかもしれない。 これは思想の積み重ねによって到達した理論ではなく、体験の積み重ねによって得た知恵 と言うべきものだからだ。実際、彼女の語ったのは言わば結論だけで、そこに到る論証も 実例の呈示もなかった。
しかし、そこには何らかの「真実」があり、その「真実」は真っ直ぐに聴いていた人の心に届いた と思われる。多分人々はそこに思い思いの「真実」を見つけ出したのであろう。悲しみや苦しみの 只中にも生きる希望があり、そこから新たな人生が開けるということは、人生経験を積んだ人間なら 誰でも知っていることで、確かに松尾さんの話はその部分に一つの照明を当てている。その照明に よって、それぞれの人が自分なりの人生上の気づきを得るという仕組みになっていた。
語られたのは理屈ではない。理屈を超えた言葉、場合によっては理屈を無視した言葉なのであって、 だからこそ心から心へ直接に語りかけられている感じがするのだろう。理屈の衣を身にまとわない、 「自分はこう思う」という裸の心が聴く者の心をも裸にする、「天の岩戸が開くように心が開く」。 カウンセラー松尾直子の真骨頂である。事実、今回「わたしのはなし」に参加した何人もの人が 不思議なほどに心を開き、時には涙ぐみながら自ら深い思いを語っていたのだ。
「どんな人の闇の中にも必ず光がある」成る程その通りであろう。その闇にまたたく光とは、あるいは ナウシカの言う「命」であるのかも知れない。人生の闇の中で光に出会うとは、「命」に出会うこと なのかも知れない。闇の中でしか見えぬかすかな光のように、真実の「命」もまた、絶望の中にこそ その姿をあらわすものなのかもしれない。それなら絶望も捨てたものではない。
「わたしのはなし」 ― 第三幕 水無月―
- 話す人
- 青木勲さん(カトリック神父)
- タイトル
- ―未 定―
- 日時
- 2011年6月19日(日)午後3時
- 参加費
- 1500円
私は、1944年11月12日生まれで66歳です。実の父親を3カ月の時に亡くし、母の再婚した養父の関係で、 小学生5年生の時カトリックの洗礼を福岡で受けました。
養父の東京転勤に乗じて、東京の私立「暁星学園」の中学一年に、 「マリア会」と言う修道会の志願者として入会し今年で53年が経ちます。
高校卒業後「上智大学」のスコラ哲学科に4年間籍を置きました。
その後暁星学園(東京)と海星学園(長崎)で合計4年間社会科と宗教科の教鞭をとり、再び上智大学に戻り神学科と神学研究科を卒業し、 1976年3月に母校で、カルデナールであった故浜尾文雄司教によって 司祭に叙階されました。
その後3か月のポルトガル語の講習を受けて渡伯。1977年9月以来、ブラジルのサン・パウロ州の内陸部で マリア会の宣教師として、 スペイン管区に協力してマリア会のブラジル創設書に参加。
今年の2月まで33年間働きました。
その間教会の主任神父、教区の司牧担当責任者として、 「基礎共同体」さらに「セン・テーラ」と言う土地のない農業労働者の「ムーブメント」と「貧しい人の側から見た聖書研究会)参加など。 日系人の移民者のための「日伯司牧協会」の会長役を4年間務め、 修道会内では、志願者・修練者の養成担当者として参加協力をしてきました。 この4月から、マリア会日本地区の地区長になりました。(自己紹介)
第三幕を終えて
青木勲神父をスピーカーに迎えての「わたしのはなし」が昨日おこなわれました。
三十三年間のブラジルでの体験の中からいくつかお話しくださいましたが、 青木さん自身の心がその時にどのように動いたか、がまざまざと分かるおはなしでした。
聴いていた者、各々の今の問題に響いたのではないか、という皆様の感想からの私の感想です。 宗教を信じるものと信じないものがいて、でもそれなり面白い展開がなされていった、ようでした。
三回目にして、お客様はほとんどが毎回お変わりになりますが、リピーターもでてきていますし、 この「わたしのはなし」自体が成長している様も見られました。 ふたを開けてみなければ、分からない部分がある、その醍醐味を味わえた、ようでした。
次回はカウンセラーをなさっている 松尾直子さんのおはなしです。
この方も何が出てくるか分からない、面白さを秘めた方のようです。 七月三日、日曜日 午後二時です。
松崎好男
「お前は僕の食べ物をとった」 ポルトガル語を学ぶためにホームステイした貧しい人の家で、何気なくとった 鳥のから揚げ。その家の食卓の約束を知らず、一人分の割り当てをちょっと 超えてとった青木さんに向かって投げつけられた三歳児フェルナンデスの抗議は、 敬虔なキリスト者の胸につきささった。
青木さんは、この出来事を、「文化の違い」とか「子どもの世間知らず」と言った都合の よい言葉でごまかすことなく、真っ直ぐに、正面から受けとめて、自らの信仰のあり方を 根底から見直した。言葉で言うのは簡単だが、このように真摯な自己変革が実際に できる人は本当に少ないだろう。
「何事も百パーセント自分をかけて生きて来ました。百パーセント愛することもあれば 百パーセント憎むこともありました。いつも自分のもっているものを全部ぶつけて来ました」
これが彼の根本的人生哲学であるらしい。こういう人だから、宣教師として三十三年間 働き続けたブラジルで、単なるキリスト教の伝道者であるにとどまらず、土地の人と本気で ぶつかり合い信頼し合うことが出来たのだろう。頭で理解するのではなく体で理解する、 「なまなましさ」の感覚、それは例えば人と人が本当につながっているという感じでもあるが、 そういうものが欠けていると、日本帰国後の青木さんは感じているそうだ。
彼がブラジルの人々と本音をぶつけ合って作り上げた人のつながり。 確かにこれは、大震災後のこの列島で最も必要とされているものなのかも知れない。
今回の「わたしのはなし」の参加者の中にはキリスト教の信仰者もいればそうでない人もいたが、 青木さんの話は、キリスト教への信仰の有無に全くかかわらず、しっかりと聴く人の心に届いた。 それは人々が、一人の人間として生きる彼の姿勢に共感したからにほかならない。そのためだろうか、 参加者の語る言葉も、自分の心の深みを見つめ、自己に忠実に語られていたように思う。
二時間のワークショップの間、ばおばぶの空間は、いつにもまして「ことば」のあたたかなエネルギーに 満たされていた。
「わたしのはなし」 第二幕
- 話す人:
- 吉村桂充(けいいん)さん
- タイトル:
- 『ヨガ 魂の哲学にふれる』
伝統的な日本舞踊の中でも動きの少ない静かな舞いとして知られている上方舞ゆっくりとした動きの中に、どこからともかく立ち現われる力強さは、見る者をひきつけてやみません。
吉村桂充さんは 現代上方舞を代表する名手の一人。その芸は深く、強く、時に軽く、時に艶やかで、何度見ても飽きないのですが、そうした芸の力が、上方舞の厳しい修行の結果だというだけでなく、貪欲なまでに吸収され続けている多彩な知識技術に裏打ちされたものだということには興味を覚えます。
上方舞と舞踏としての関連の深い能の舞い手であるのを初め、和歌の作り手でもある。『梁塵秘抄』『閑吟集』のような日本中世歌謡にも関心を持つ一方で最近は連句の世界にも入り込んでいる。 古武術の修行,滝行、はてはヨガの修行まで、一体どれ程のものを身につけ、芸の肥やしにして来たのか 想像もつかない位です。そしてもっと大切なのは彼女の多様な関心の先に、何か一つの核のようなものが 見えていて、それが上方の舞の表現と密接につながっているらしいということです。
今年もインドに長期滞在してヨガの勉強をしてきた桂充さん。 今回はヨガの話を中心に興味深い話が 聞けることでしょう。 桂充さんの「わたしのはなし」の後は、参加者の皆さんに感じたことを話していただきます、言わばみんなの「わたしのはなし」でもあります。 誰かの話が聞いてみたい人も、自分の話を聞いてほしい人も楽しめる軽やかなコミュニケーションの場。それがこの『わたしのはなし』です。 どうぞ奮ってご参加下さい。
第二幕を終えて
「舞いには魂がそのまま現れます。だからよい舞いをするには魂を磨かなくちゃだめなんです」 これこそが上方舞踏家吉村桂充さんの根本思想であるようだ。彼女が三十年の長きにわたって ヨガの修行を続けて来たのも、ひたすら「魂を磨く」修練のためであった。
「わたしのはなし」第二回は 桂充さんによって語られる ヨガの思想を聴く機会となった。 ヨガは人間が大いなる存在と自己との合一に至る為の知識、技術、修行の総体であり、 通常多くの人がヨガだと思っている色々な身体的ポーズはそのほんの一部にすぎない。
ほとんど知られていないであろうヨガの本体を丁寧に伝えようとする桂充さんの言葉には 参加者の感想にあったように、大学の講義の趣があったかも知れない。だがそれを語る 彼女の言葉は静かだが力強かった。そしてどんな時も純粋で嘘が無かった。それは 正しく表現者の言葉であり、彼女の上方舞と不思議な程に雰囲気を同じうするものであった。
(松崎)
「わたしのはなし」 第一幕
- 話す人:
- 相川高徳氏
- タイトル:
- 魂のタイムトラベラー
このところ運慶展で冴え返る空気を揺るがしている金沢文庫は仏像のみならず 中世古文書の宝庫であります。 そこで長年古文を読み解いていらっしゃる 相川高徳氏の話を伺うことになりました。
古典、古文を理解するうえで、一番肝心な事は さかしい頭で探る事ではなく、 人の魂をみること、 映画「武士の家計簿」大ヒットからも窺える様に 昨今は 大壇上に構えた歴史物よりも 今生きている私と同じように生きていた彼らを感じることに 惹かれる方が多いのでしょう。 歴史資料を通して時空の旅に招待いたします。 多くの歴女・歴男のご参加をお待ちしております。
第一幕を終えて 感想
「古文書は絵を見るように眺めるんです。すると、書いた人がどんな人かわかるんです。
そして、それは結局、あなたはあなたでいいと言っているんです。」 金沢文庫に伝わる六千通もの手紙。 そのほとんどは鎌倉時代の無名の人の書いたもの。長年その解読にとり組んで来た相川高徳さんの言葉には、 自分の目で古文書を見続けた人にしか持ち得ない重みがあった。
ばおばぶの新しい企画 「わたしのはなし」は、この金沢文庫の地の歴史と、直に向き合って来た一人の人間の 話を聴く所から始まった。自らの経験に裏付けられた相川さんの話は、聴く人の心に深くしみ渡り、いくつもの 質問を引き出す。また、相川さんも、質問に応ずれば応ずる程活力を増し、話に迫力が生まれた。 参加者の誰もが、語ることと聴くことの楽しさを味わっていたように思える。
本物の対話の場を作ることを目指して生み出されたこの企画、上々の幕開けとなった。