弥生のつぶやき

「路地のあかり」という本を友人から頂いた。その友人はいつも私が自分では決して買わないであろうという本をくださる。それがいつもいい。

著者は松崎運之助さん。夜間中学の先生をなさっていた方。東京シューレから出版。

この本から見えてくるのは、戦争直後から今に至るまでの日本社会の悲惨といってもいい程の状況に置かれ、それを生き抜いてきた人々の生活だ。彼の文章はしかし明るい。この手の心の暖かさに私は弱い。参ったとなる。自分がそう出来ない、その後ろめたさを感じてしまうのだ。

彼が他者の観察者であるだけでなく、ご自分の根っこも淡々と同じ流れの中に表現されている、だから、ひと皮もふた皮も剥けた中身がよく見えるし、
この人の言ってることに真実性が感じられるのだ。

このところ私は目に見えぬ世界への関心度がかなり高まり、天空に浮かびそうだったのだが、この本を読んで、地上に降ろされた観がある。
今の今、目の前にある、現実の世界で、実行すること、この小さな、たくさんの、片付いてない地上のこと・・・
マザーテレサが「インドへ行ってお手伝いをしたい」と申し出る若者たちに「あなたの身近にあなたが愛して差し上げなければならない方がおられます」とおっしゃっていたが、それに近いところの気付きをもらった気がする。

松崎運之助さんの明るさは人々をいとおしんでいるその彼の心の奥からきている。彼は丁寧に、暖かく人々と接する。ご自分のなさったことについては
あまり語らないけど、対面にいる人々の様子で彼の暖かさが見えてくる。その空気を想像するだけで、ホロッとくる。
多分不思議な人なんだろう。

他の友人の話からも同じような気付きをもらった。
花咲か爺さん、舌切り雀 は誰でも知っているおとぎ話である。お話を聞く度に、自分は欲張り爺さんなんかではない、と自然に思っていた。子供の時は、決してそんな意地悪な人にならない、と思っていた。しかしである。しかし自分の心は本当にそうなのか?と問われたならば、さあ大変!!という話だ。
ス-パーの棚の後ろの方から賞味期限の新しいのを引っ張り出したり、車の運転中にほかの車の人を罵倒したり、様々な契約や物を買う時だけでなく、たくさんの場面でしっかりといじわる婆さんだった自分がいるではないか?欲がまったくなければ人は生きては行かれないから、と資本主義の世の中でなくとも言えるだろう、しかしその欲と強欲の違いがあって、けっこう密やかにギリギリに強欲婆さんだったりして、そんな場面は記憶の中に多々・・・それを自分の賢さと誇ったりして・・・赤面!

つまりは心の持ち方、だと思うのだが。自分の位置を把握すること、それは世界を把握することでもあり、自分以外の者への思いが湧いてくることである。
自分をチェックし、ひっくり返す事から始まるのだが、さあこれが大変なのだ。そのようなことを言い続けている自分を思う。

これらの気付きを今又もらえたことが嬉しい。
今までの価値観と全く違う価値観になろうとも恐れずに、新しく考え直す、ということは常に必要だと思う。
年齢は重ねるばかりだが、重ねることでついてくる思慮力はある、と信じている。
少しでも自分を良き方へ変えるためのきっかけを捕まえ、実行する。その気だけは持ち続けたい。
老年期はどんどん明るい方向へ近づくラストスパートではないか。いわば花道のようなものだ。
素敵な春へのスタートだ。