霜月のつぶやき

”ばおばぶ”ではいま松崎紀一さんの陶人形展をやっている。今年で十回目となる。

スラリとした乙女達がまずは迎えてくれる。天女のような静かな美しい顔、
ポーズは祈りであることが多い。この乙女を毎年一人づつお家へ連れてお帰りに
なるファンの方もいらっしゃる。
埴輪風のペアー人形も並んでいる。これは、互の相手への思いを表しているような
ポーズが初々しい。縄文が好きなんだけど、自分の作品が弥生風になってしまうのは、
結局は生き残った側の子孫だから、とおっしゃるが、そうなんだろうか・・・・
ばおばぶにお見えになる沢山の縄文好きな人たちのうちのお一人だ。

野仏たちにはいい名前がついている。花宇宙、花観音、花音菩薩、空から花びら
が舞ってくるのが見える・・・とかの松崎ワールド。今年の新境地でもあるらしい。

鬼たちは毎年変わらずに月を見ながら酒盛りをやっている。ごつい顔の割には優
しいのだ。御自身を重ねているのかなあ、酒盛りが楽しそう。

ずんぐりとしたお地蔵様たちも、もちろんだが、狛犬すらも皆優しい表情になっ
ている。松崎さんのお顔も優しいし、奥様のお顔も人形にそっくりなのだ、初めて
奥様にお会いした時にびっくりしたのだ。松崎家の観音菩薩様。

優しいという文字は、憂いのそばに人が立っている・・・という解釈。
そばにいてあげるだけで、とか最近聞いたばかりだが。

松崎さんは養護学校の先生をなさっておられた。校長先生で退職なさった。
生徒やご父兄の皆さんにとても愛された方だろうとすぐわかってしまう。
お客様はもちろん昔の生徒さん達やその親御さん達や、同僚の方々、
そしてユニークなご友人達。
毎年たくさんお見えになる。一年に一度の同窓会のようだ、とおっしゃっている
方もいらした。

ご友人には仏教に関心のある方が多い。
松崎さんの人形の題材もそうだし、この十年彼から私は仏教について沢山学んだ、と思う。
こういう時にキリスト者である私は 日本文化の中には仏教が深く入り込んでいるんだなあ、
まいったなあ、と感心する。
仏像のこと、坐ること、仏典のこと等、皆さんの会話でいいお話が聞ける。

中には韓国に残っていた古い教典を日本語に翻訳なさっている方もいらっしゃる。
ハングルという文字が出来たのが17世紀らしいのだが、その時の王様が、国で
は仏教が 禁じられていたにも関わらず、ご自分のために仏典をハングルで書き残す事業を
なさったらしい。それをコツコツと翻訳し既に本にもなり、今また次の物を翻訳
なさっているという。前にばおばぶのお話会でそのお話を伺ったが、まだまだ続けていらっ
しゃるのがすごい。

キリスト教は啓示された言葉が重要である宗教だが、それに比べると仏教は
人の側からのアプローチにとても豊かな世界が広がっているようだ。

仏像の写真から切り絵を作っていらっしゃるご友人も毎年お見えになる。
「祈ること」について、会話が進み、ワインも二本目になってはいたが、
私も加わって、個人的な体験をお話しすると、キリスト教から入っても、
仏教から入っても、双方が深く共感できるところがある、という嬉しい発見があった。
私のように宗教にちょっと関心がある、というより、もうちょっと入ったぐらいの レベルで
他宗教との対話というか共感が体験できるなんて、本当に嬉しいことだ。
文化、宗教はこんなふうに少しづつ、新しさを取り入れ、変化してゆくんだろう。

この十年間松崎さんと少しづつこういう話を積み重ねて来たんだなあ、との感慨でもある。