文月のつぶやき

旧約聖書は読みづらかった。
世界の創造から始まり、2000年前のキリストが生まれる前で終わっている。
ユダヤ教ではこれだけが聖書であり、キリスト教は新約聖書とあわせて聖書とし
ている。
イスラム教もこれを重んじている。紀元前五世紀ぐらいに編集されたらしい。
書物としてこれだけまとまっているものでは世界最古となる。

アダムとイヴ、ノアの方舟、アブラハム、モーゼ、ダビデ王、ソロモン王などなど
ユダヤ民族の歴史のようでもある。
独立した話のヨブ書等は心理ドラマのよう。コへレトあたりの諦念は東洋人にも
わかりやすい。祈りの詩篇、預言書や教訓書等面白いのもあるのだが、
退屈な掟に関するものも延々と続き、殺し殺されたも延々と続いてくると
うんざりしてくる。

キリスト以前の、つまり革命前の考え方については読む必要はない、
と思っていたのだが。

新約聖書は旧約とは違って、キリスト個人に集中し、彼が当時のユダヤ教の価値
観と対立し、処刑され、
しかし復活するという革命話だ。そして弟子たちがキリストの教えを伝えてゆく
ところまで書かれている。
こちらのほうが旧約より数段面白いと思っていた。しかし何度か読んでいるうちに、
新約聖書の中にかなり頻繁に旧約聖書が引用されている、と
知り始め、キリスト教がユダヤ教の一派として始まったことを
知ることにもなり、改めて旧約聖書を読んでみると、前とは違って見えてきた。

イヴが禁断の木の実をとって食べてしまった、という人祖としての罪は一体何な
んだ!
時には頑固親父のようなこの神は何なんだ!誰も彼もが人間臭くて、それ以上に
とんでもない
悪がゴロゴロしていて、なんなんだ・・・?というあたりから入り始める。

まだまだとっかかりにいるのだが、お話は象徴として捉えるのが
一番理解しやすいかな、と思う。だからこそ、
人間とは何か、何のために生まれているか、
神とは何か、宗教とは何か、という問いに、旧約ですでに答えているらしいと。
なんせ三大啓示宗教の大本なのだから。
とてもシンプルに 世界の、人間の説明がされているのかもしれない。

文化的な差であると捉えて今までグレーゾーンのままにしておいた部分を、黒白で
クリアーに眺めてみるということ、このことで違った視点が持てる。
今に至る少なくともキリスト以降ですら2000年の間の文化の衣が
私の考え方を強く左右しているのだから。
キリスト以前二十世紀近く?ともかく古代の砂漠の民の文化の衣は、かなり
強烈に差異を感じさせる。しかしその下なのだ、知りたいのは。

言葉にこだわるのはいい加減にやめよう、と思い初めてしばらくたつが、
そういう思いと同時に古い書物に惹かれ続けている。