卯月のつぶやき

ドイツのテレヴィZDF局で製作された「ふくしまのうそ」というドキュメンタリーシリーズにおいては、淡々と研ぎ澄まされた言葉が語られていた。

あの日、3・11位来、福島原発について、政府と東電が本当のことを言っては
いない、ということは多かれ少なかれ誰だってわかっていたことだと思う。

五木寛之は3・11の後すぐさま新聞に短文をのせた。”大本営は嘘をつく”と。
第二次世界大戦の終わりの頃北朝鮮にいた彼ら家族の体験だ。何新聞だったか忘れたが、
その切り抜きが私のところに届いた。

私はテレヴィを持たない、苛立たしくなることが多いので、ある日それを捨てた。
新聞も取らない。時間の無駄だと思ったからだ。
しかし人の行き来があるし他にもニュースの入る手段はいくらでもある。
そして目が点になってしまうような、嘘だろう、というようなことばかりが
報道され、次第にそれが慢性化していった経過も知ってきた。

本音と建前、という日本独自のヴェールなんだろうか、まあまあ今のところは
こんなもんで・・・みたいな曖昧さですべてが覆われていた。
夥しい死者への哀悼もあり、世間が曖昧さで覆われていた。

日本の社会は本質的にそうなんだと思う。権力者には従うものなのだ。
真実よりはおべっかがよし、事実はよりは上様のご都合、
何事もなかったかのように、臭いものには蓋などなど、
ここの人々に深く浸透している癖がある。
おまけに経済という大義名分がある。

そんなふうな流れに逆らいたいと思いながらも、生きてゆくというのは
さまざまな妥協の寄せ集めなので、気にはなりながらもこの三年を
過ごしてしまった今、このドイツ人の追求と暴いたものとの出会いは
本当に良かった、と感謝している。

やはりそうだったのか、という確認以上に、
ここまで組織的だったのか、
これは日本文化の本質的な部分ではないか、
という恐ろしい気づきがあった。