師走のつぶやき

おお、エルサレムよ! 汝、エルサレムよ!
オリーブ山の頂に立った時、突然その姿が目に入った。
想像していたよりも、遠く、平たく、パノラマのようにそこに拡がっていた。
あっと驚き、何とも言えぬ感じに満たされた。二千年という時を一瞬のうちに含んだ
この2013年のある一日のこの時がある、とでも言おうか。

聖書の世界はエルサレムを中心としている。

イザヤ:2.1~
    主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。
(シオンはエルサレムの一部)

詩篇:122.1~
    神の家に行こうよ、と言われてわたしの心は喜びにはずんだ。
    エルサレムよ、わたしたちは今おまえの門のうちに立っている。
      (神の家=エルサレムの神殿、エルサレム=平和の町)

ルカ:19.41~
    いよいよ都(エルサレム)が近くなったとき、イエズスはそれを見て、都のためにお泣きになって、こう仰せられた。「もし、きょう,おまえもまた平和をもたらす道がなんであるかを知ってさえいたならば・・・しかし不幸にも今は、それがお前の目には隠されている。いつか時が来て、敵が周囲に塁壁を築き、おまえを取り囲んで、四方から押し迫り、おまえと、そこにいるおまえの子らを地に打倒し、お前の中に、重なった石を一つも残さないであろう・・・」

黙示録:21.2~
    わたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、神のみもとを出て天から下るのを見た。それはあたかも、花婿のために用意を整えて着飾った花嫁のようであった・・・

エルサレムはアブラハムの時代から聖なる地であり、ダビデ王がここに都を造り、ソロモンがここに神殿を建てた、その聖なる神殿の位置には、しかし今イスラム教のモスクが建っているのだ。
そのゴールドのドームは白っぽい石造りの街の中では非常に目立つし美しい。聞くところによると、かのフセインが何十年か前に金塊を寄贈して、このドームを覆ったと。その燦然たる輝きは見事なものだ。
イスラム教徒とキリスト教徒とのこの地をめぐる制覇争いは何度となく繰り返されてきたのだけれど、考えてみればアラブ系の人種はもともとアブラハムからの一族で、
ユダヤ系とは兄弟ではなかったか。キリスト教はユダヤ教を母体とし、キリストの革命によって成立したものであるのだから、同じく親戚筋であるわけだ。
極東から来た異邦人としては、いい加減に仲良くしようよと思うのだが・・・

オリーヴ山からゲッセマニの谷へ降りて、街の北側にあるモスリム地区のヘロデ門から城壁の中に入った。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、アルメニア教で城壁内を四分割している。ヴィア・ドロローサというキリスト教の巡礼の道はキリストの苦難を偲ぶ道程であるが、風景はアラブ風アメ横である。
世界各地からの観光客、巡礼者が次から次へと民族大移動のように続く。

二千年前の遺跡の上に破壊と建設が積み上げられ、一番上に教会がどんと覆いかぶさっている。
二千年間世界の各地に離散していたユダヤ民族がここに戻り、様々な文化
を持ちこんだであろうし、時間のクロス、空間のクロス、文化のクロスと様々なクロスの重なるカーオスの渦巻く、地球のヘソといわれる場なのだ。エルサレムの持つ独特の空気は垣間見ただけではで何とも言えるわけはないのだが、私の中でエルサレムへの想いというのが次第に強くなってきてしまう。

イスラエルは日本と真逆である、というのも今回の旅での発見であった。日本列島は天然の恵の豊かな地だ。イスラエルの駱駝色の荒野を見て、夏の間七ヶ月間一滴の雨も降らないという過酷さを聞かされ、山紫水明という日本の美を思った。一万年の縄文時代を基盤として歴史的にこれほど平和を保てた地というのも少なかろう。

今年は脱皮の年だ、と予感感していたが、その通りになった、と言えるいくつかの出来事があった。来年はこの真新しさで一歩を進めるという楽しみがある。