長月のつぶやき

秋の気配が少しずつ暑さの中に入ってきているこのごろ、
自営の気楽さ、裏に引っ込みソファに横になる。心地よい風が抜けてゆく。
天井を眺めると、杉の天井板がたわんでいる、少し隙間もある。
この部屋は五十年ほど前私が子供の頃に父の居室として作られた。
近所の大工さんが作った。私の同級生のお父さんだ。息子も大工になったが、二人とももういない。
広げて解放的に増築したのは二十年ほど前だ。大きなガラス戸はほとんどいつも開けっ放しで(寒い時は閉めるが)
庭と一体感がある。大好きな部屋だ。優しく揺れる木立を縫う木漏れ日、季節の移ろいをながめながら、朝ごはんをとる。
マイダーリンが作ってくれて我等の居間となった。彼の休日の手仕事だった。その彼ももういない。

父がいて、母がいて、そして私がいる。私がいて、ダーリンがいて、そして子供たちがいる。
天井の隙間を眺めながら、人ってこんな風に生きているんだ・・・と思う。

この夏に九十二歳の母が逝った。
いつかは当然来るべきものと思ってはいたが、ふっと逝ってしまった。
彼女が抱えていたいろんな思いというか頑固さというか、それもこれも
透明感を得たかのようにスーッと南の空へ飛んでいってしまった。
薄紅色の御影石の墓に母の骨が納められた時、真っ青な空から雨が落ちてきた。
彼女が天で笑っているようだった。
私の脳の中でそんな思いが結晶しただけ なのかも知れぬ。あるいは本当に笑っていたかも知れぬ。

この広大な宇宙の片隅で人は生まれ愛して死んでゆく。