卯月のつぶやき

鳥居民さんという人が亡くなられた。
”お別れの会”のお知らせが来た。
その会場はかの歴史あるニューグランドホテルのボールルームだった。
横浜に生まれ育ったものなら、いくつかの思いで深いシーンがこのホテルにはあるはずだ。
舞踏会が行なわれていたのか、その部屋は古き良き横浜の香を残している。
民さんの奥様は私にとってはベルエポックそのものという方で、我が青春時代の文化的な
師匠なのだ。民さん夫妻への懐かしさとホテルの持つ懐かしさに惹かれ、出かけていった。

民さんは私の記憶では、いつも書斎に閉じこもっている人、書斎から出てくれば
優しい笑顔を見せてくださる人だった。何年か前に何十年ぶりに再会し、それっきりだった。
近現代史研究家として著作を遺された、と知ったのはお別れの会のお知らせをいただいた後のことだった。
「在野で意見申す」という姿勢が貫かれている、と何人かの方々がおっしゃっていたが、
名声とか権威とかとは無縁の世界を好まれていたのは昔からだと思う。
その研究一筋の彼が目指していたのは、正史として我々が知らされている歴史の裏側で、
何故こうなったのか、事実は何が、誰が、どうしたのかを極める事だった。
お知らせを頂いてから著作を調べて驚き、本を買い込み、そしてお別れの会で皆様のお話を聞いて
次第に彼の世界が見えてきた。

「昭和二十年」という著作が大作だということだ。丸谷才一氏や井上ひさし氏が称賛の言葉を送っていたと。
残念ながら8月15日まで至らず未完で終わったそうだ。しかし近いうちに読もうと思っている。
手始めに三冊買ってみた。
「横浜富貴楼お倉」は松岡正剛の千夜千冊でほめられていた。今半分ほどまで読んだが、明治の横浜が、
明治を動かした人々と共にいきいきと描かれている。
「毛沢東五つの戦争」は今や中国問題研究の徒にとってのバイブルであると、どなたかがおっしゃっていた。
全くの素人の私が読んでも、イメージでしか知らなかった毛という人、隣国がわかりやすくなってきた。
「日米開戦の謎」これは面白い。ごまかされていた歴史の部分がクリアーになる。この国の動き方の
癖のようなものが見えてくる。原発問題をふっと思い出してしまった。
殆どの著作が草思社からでている。草思社主催のお別れ会だったがテーブルのお隣は文春の方で、
文春からも一冊出ているそうだ。
反対隣の方は台湾独立に関わっておられたらしい。昔は民さんは中国問題研究家だと、私は思っていた。
中国からの客人はいろいろ居られたように記憶する。

彼の書斎を見た方に言わせると、コンピューターというものが普及する以前から
彼の書斎はコンピューターの中身のように知識が分別されていたそうだ。
図書館に出かけるほかは殆ど外出をなさらなかった。毎朝日本の主なる新聞全てのみならず
アメリカと中国の新聞も読まれて、分析なさっていた。
彼には真直ぐに見つめる目があった。

仙人の様な人だったとおっしゃる方が多かったが、皆様のお話から伺えるように、
個々の人々に対して適切に対応している彼の細やかさは見事だ。人への暖かさがみえる。
歴史の真実を描き出すということは、人に対する暖かい愛が原動力だったと私は確信する。
真摯な姿勢が彼の本質であったと、本当に美しい本質であったと思う。
彼に感謝したいと思う、そのように生き抜いてくださった事に対して。
ほんの少ししか彼とのふれあいのない私でも、彼の放つオーラは感じていたのだ。

”鳥居民氏を悼む ー 未完の「昭和二十年」シリーズ ― 阿部重夫 ” というブログがあった。
いいと思う。
いくつかの新聞雑誌に追悼文は載っている。

沢山の人たちに鳥居民さんの本を読んで欲しいなあと切に思う。