如月のつぶやき

ああ縄文!
勝坂縄文展が馬車道の県立博物館で行なわれている。
そこに陳列されていた縄文土器からすごい存在感を感じてしまった。
火焔土器とかでなくて、どちらかと言えばシンプルなものなのだが、
そのシンプルなラインが美しい、永劫に通じるほど美しい。
しっかりと深く美しい。
今まで何度も縄文展は見ているのに、なんでだろう、こんな感じ方は
初めてのようだ。展示の仕方に工夫はされている、それよりも私が変わった?
そちらだろう、歳のせいともいえる。

そして「縄文と美術」という講座をばおばぶで行なっていただいた。
千葉毅さんという若い研究者だ。今回で二度目。
千葉さん以外の聞いている我々皆考古学の素人である。普段から縄文好きが
多いので色々な語り合いがあるが、この時とばかりに専門家の知の支えに群がるのである。

岡本太郎が縄文の美を発見した、その功労者である。と。彼の写真はいい。
写真家になればよかったのに、気色悪い絵なんか描かないで・・・というのは勝手なつぶやき。
そもそも美とは何ですか?を 千葉さんは問われた。

縄文人は、今残されているのは土器だけだが、土器を作ると言う事は、なんだったんだ。
あの装飾夥多ともいえる火焔土器が煮炊きに使われていた、その地方、諏訪の辺り、縄文中期は同じ
火焔の土器ばかりだった、変えようとしていなかった、というのはどう捉えればいいのだ。
何処の家に行ってもあの火焔土器が炉に置かれていて、次に作られているものも
全く同じものである、繰り返し繰り返し同じものを作っていた、と言う事らしい。
しかしその煮炊きが、食事か他の目的かは分かっていない、というのもポイント。
私の今持つ価値観、今の知の範囲を取っ払ったものの見方を探したいと思う。

縄文文化が日本列島では一万六千年も続いていたと言う。その前の石器時代はその何倍もにも
なるという(石への愛着はここからだ!)。そしてその一万六千年なのだが、
地球上のほかの地域ではそんなに長くその食料採集時代、というのを続けていなかった。
切り上げて農業へと移っていくのだが、佐原真さん(著名な考古学者)が作った地球規模の年表が
千葉さんによって見せられ、其れを見て、「あっ」と思ったのは私だけではなかった。

日本列島の縄文時代は突出して長いのだ。紀元前三千年にはシュメールでもエジプトでも、
インダス文明もその辺り、中国も紀元前千五百年から二千年辺りのところで殷という国が出来ている。
農耕はもっと前からで、中国では紀元前五千年ぐらいで始まっている。
しかし日本列島へは紀元前五百年を切ってからなのだ。こんなに近いのに何故?

この長さの結果が、美しい土器であり、円環式に時を捉える宇宙観に繋がるのではなかろうか。
争いの無い平和な生活、豊かな文化というのも結果であろう。
この長さの要因は、火山帯の上にある日本列島の自然の豊かさであり、極東に位置する島という
ラッキイなめぐり合わせ であり、氷河期の氷がいつ頃解けて、とかも、関係しているのかなあ・・・
海の公園から目の前に見える夏島の貝塚は 九千年前のもの。水面が今より四十メートルも低かった。
ばおばぶの近くの称名寺の貝塚は三千五百年前のもの。この頃は水面が今より少し上だったようだ。

縄文人は群れて住んでいたのではない、という人がでてきた。土器の破片を拾い集めている人だ。
土器は野焼きではない、と私も言い出している。これは西表島でパナリ焼を焼いている
人と話してて思いついたことだ。
ともかく終わらない・・縄文は、我々の血と知の中に流れている。