カフェギャラリー & 陶芸くらぶ ばおばぶ

2015年

今月のつぶやき

葉月のつぶやき

友人の御夫君がガンによって7月の初めに亡くなられた。 彼は私と同じぐらいのお年だった。ばおばぶにもおみえくださったことがあるし、ほかでも何度かお会いしたことがあった。 彼を送る葬儀の式が横浜市内のあるカトリック教会で行われた。 雨の落ちる中たまたま休みの日に重なってもいたので初めてのその地へ出かけた。 会場に入ったその時から、なんだか明るいし、優しいメロディの歌が流れてもいるし、ちょっといつもと違うなあ、と感じてはいたが・・・

神父様の説教の代わりに、故人のメッセージが読まれた。一年前の五月、まだ病気を知らなかった頃、彼が韓国でのある国際的な集りで、発表したものだそうだ。「障害を持つ娘との三十五年間」。 より早く、より高く、より強く、という競争社会での価値観が当たり前、と思って生きてきた彼に、重度の障害を持った娘が生まれたというところから始まる。 その子を受け入れることが出来ない苦しい年月があった、この間のことは事細かに正直に書かれている。そして、7年目に熱心なクリスチャンでもなかったのだけど、ふと聖書の一場面をおもいだしたという。生まれつきの盲人を癒す場面である。

弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、 誰が罪を犯したからですか?本人ですか。それとも両親ですか」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業 がこの人に現れるためである。」  ヨハネ9:2~

彼はここから、娘と共に生きる道に入り始めた。 それからの彼の人生が変わったこと、 障害を持つ娘が教えてくれた今までの世界とは違う豊かさのこと。 彼が生きた、生き切った証として、まさにぴったりのものだった。

この御家族にはもうひとりの娘さんがおられる。私は個人的に存じ上げている、優秀で美しい娘さんである。このお嬢さんが遺族の挨拶という時に、父のメッセージを補いたい、とおっしゃって、語られたことは、世の父親たちに分かってほしい、母親神話に逃げないでくれ、という意味合いだった。

メッセージの中で、父から見た、母親と障害の娘のことだが、母の愛に救われる、と簡単にくくられていたのだったが、それを下のお嬢さんは、違うよ、お父さん、お父さんは知らなかったけど、お母さんだって、苦しんでいたんだよ。と叫んだのだ。

これには私は感動した。

そして翌日の式で、お母様が、メッセージの中では、下の娘について一言も出てこなかったということから、下の娘さんが、メッセージに於いてだけでなく、今までの人生でも寂しい思いをしてきたんだろう、それなのに、 心の中のことは家族間では一番わかりにくいと思うのだが、よくここまでわかってくれた、とお嬢様に感謝をなさっていた。 これにも、私は感動した。

下の娘さんは、また一言加えられた。 聖書の盲人の場面では、後で、イエス様が盲人を治しておられるが、うちのOOちゃんは癒されてないじゃないか・・・!と。 しかしそのあとで、でも、父の目が開かれたんだ、とわかりました。と続いた。 これも、ドキッとくるほどだった。

父の死といういわば大事件のその時に、その父を含む家族の一人ひとりが一生懸命に生きてきたということを、結果的に私たちに見せてくれた、そんな理想的な葬儀だった。 大黒柱を失っての、重度の障害を持つ娘さんとの生活という、この家族にとっては明らかに容易くないであろう新しいスタートに立っておられるのだが、 「人にはわからない、神様の愛は大きい」という テゼの歌がリフレインするように、穏やかな明るさに満ちて、幸せな気分をいただいてきた葬儀だった。

     

文月のつぶやき

若い人たちが政治に対して声を出し始めた。デモを始めた。 すごく嬉しい。

安倍政権がとんでもない法案ばかり出して、 どこへ向かっているんだか?と危惧しているひとりである私。

政府が一部の特権階級、大企業、アメリカの意向に合わせているだろう、ぐらい は推測していた。 政治なんてそんなものだと、諦めてもいた。 しかしいまの安倍政権の法案は常軌を逸している。

原発とか基地の問題が憲法にに深く関わっている、こともわかってきた。 今まで関心を持たなかった私にも責任の一端はある、ということもわかった。 一年半ぐらい前に私はアンナ・ハーレントという人について、このつぶやきの欄で書いたことがある。 まさにその悪の片棒担ぎが自分である、と今言わねばならぬとは。

憲法とはそもそも何のための何であるか。 日本国憲法はどのようにできたのか? 太平洋戦争の戦後処理がきちんとされていない、のは何故か? 今もって日本だけが敗戦国という身分にいるというのはどういうことか?

今多くのの研究者たちが、本を出して史実を教えてくれている。 これもすごく嬉しい。

国民の、議会での議論のないまま、国民の命に関わる問題が決定されていく、不気味な現象が今起こっているのではないか。

政治への不信、空洞の政治。

日本人の発想法そのものが、そもそも政府のトリックを許している大きな理由のような気がする。 古代から支配層による巧みな仕組みが、めんめんと引き継がれているのではないか? 天皇と将軍という二重構造の支配は民を完璧に支配してきたのではないだろうか。 この世界には、民の己の思考は不在である。己の思考がないのがあたりまえ。 明治以降も同じパターンだったようだ。民主政治はこの国では見せかけだけ。 でも民主政治であると信じているという構造。

他国の軍隊が戦後70年たってもまだ傍若無人に存在し続けているのは、異常ではないか? アメリカ軍の仮想敵国はどこだと思う? 日本だ!戦争を起こした国だから、二度と馬鹿な考えを起こして欲しくない、とアメリカの軍部は思ったわけだ。こんなに明らかな理由はない。 今の日本はアメリカの奴隷だろう?と私は思っていたが、いや、それ以上だった、いや、以下だったというべきだ。

兵器産業が膨大化していることも加わり、軍事的なアメリカの意図は日本基地にしがみつくしかないのか。安全保障とはアメリカのための安全保障なのだ。 アジアで何かが勃発したら、アメリカが日本を守ってくれるなんていう夢物語を本気で信じている日本人がいるとは! アメリカはアメリカしか守らない。

平和であることはいいことだが、やはりその質を問わねばならぬ時が来ているのではないか。 沖縄は今こそ独立すべきではないか?

                           

水無月のつぶやき

毒母という言葉を初めて聴いた。 母源病とかいう言葉はかなり前からあるが、毒とまで言い切るとはすごい。

毒母は ドクハハ、ドクボ、とか読むようで 毒ママという言葉もあるらしい。 アメリカの精神医学者、スーザン・フォワードという人が、毒親という言葉を使ったのが初めらしい。二十年以上も前のことだ。 その業界では既に使われている言葉だとあらためて知った。

その言葉を知った翌日、エロール・ル・カインという絵本作家の展覧会を見た。 そこにその毒母の絵があった。美の女神ヴィーナスが自分より美しい人間の娘に嫉妬し、いじめている時の顔だ。

その美しい娘プシケーは、お姑のヴィーナスよりたくさんの困難を課題として与えられ、果たさなければならない。 少しおバカなので(この辺が人間であるという証)決してやってはいけない、という禁断のことが守りきれない、そして、いつだって、ピンチにおちいる。人間の生き様そのままだ。 でも必ずどこからか助けが入り何とか切り抜ける。神様方が助けてくれて、結局はハッピーエンド、というのはなんともありがたい。

毒母かもしれない自分。もはやプシケーであるとは感じない自分。

昔昔、小学校の頃、母の日が近づくと、赤い造花のカーネーションが配られた。安全ピンが付いていて胸に付ける。白い造花もあった。それは母の死んでしまった子が付けるのだ。 これは本当だったのだろうか?今、ふっと思い出して、現実だったのか?とびっくりしている。 母のない子はどんな気持ちで白いカーネーションをもらったのだろうか?

花屋さんへ行って、白いカーネーションを買った。私はもう母のない子だから、というわけではないが、赤のメジャーなふてふてぶてしさがいやだったから。 今は亡き娘がピンクが好きだったので、傍らにあったピンクのカーネーションも買った。 母になりたいと思い、母になり、毒は、やはり持っているだろうと感じながら、ある意味の母役は終え、しかしまだ母であり続けている私が、白とピンクの カーネーションを飾る、母の日、2015年。

              

皐月のつぶやき

ばおばぶでは二ヶ月に一度連句を楽しんでいる。初めてからもう数年経つが、三十六歌仙はまだ一回しかやったことがなくて、いつも半歌仙だったが、 今回は気合を入れてやることにした。いつもより一時間早くスタートした。全く新しいメンバーが加わることになり、その方も初心者としてすぐ参加された。二人ほど遅れて来て途中から入り、結局七人でわいわいと行ったわけ。ひょっとして三・四人だったらきついかな・・・などと心配していたが、初心者のための説明も加わり、復習がてら、のんびりと順番が回ることになった。それでも半歌仙の時とほとんどかかる時間が変わらなかった!すごい進歩だ!こなすのは倍の量だが、後半は気楽にポンポン進むということもあるが。

五七五、の次が 七七、そして五七五と繰り返すが、細かい規則がある。この煩雑な規則があっての面白さ、と言える。 初めて連句をやった時、本当に混乱状態だったが、普段と違う脳が活性化されたようで、頭のどこか、いつも眠っていたあたりが働いた感があった。

この連句を精神科の先生が治療に使っている、と聞いたことがある。箱庭療法とかも同じかもしれないが、枠に意味があるのだろうか。枠、規則、理り、形というもの。その枠の中で自分を表現する、これが、人がいわゆる人らしくなくなってしまった状態、つまり社会性を失った状態にいるとき、それを是正するのに役立つ!というのか。

枠とはなんなんだ・・・?とおしゃべりが始まったのだが、私ははっと気づいたのが、ユダヤ人のことだ。彼らのの脳は決してほかの人種と違うのではなくて、彼らは常に苦境の中で生き抜いてきた、ということだけがほかの民族とちがっているのだ。天下泰平とか平和ボケとかとは一切縁のない歴史が数千年続いてきた。差別、迫害、虐殺とともにあった歴史なのだ。だからこそノーベル賞の20%~40%(ユダヤ系もいれてかな?)もとるほど、学問、文化、経済で突出している。能力が磨かれてきた、と言える。今や世界は経済のみならず、ひょっとしたら全てに渡って、ユダヤ人の支配下にあるのではないか、と思うほどだ。

苦境イーコール枠、規則とは言えないが、メカニズムは同じような気がする。

10Cごろスペインから追われたユダヤ人たちがモロッコからアフリカを経て散ってゆくのだが、その砂漠の逃避行で、ある父親は息子に哲学を教えていたと。 イスラエルの朝の町で、幼稚園や学校へゆく子供たちを引率しているのは父親たちであった。子どもの教育は父親の仕事らしい。 先日店にいらしたユダヤ人のご主人を持つ方にお話をうかがったが、ユダヤの教育重視はすごいらしい。身一つで世界のどこでも生きていかれる能力をつけることなのだ。

列強の表の歴史があり、その影にはきっとユダヤ人がいた。ユダヤの歴史とはほとんど正反対の環境と性格を持つ日本の歴史、文化ではないかと思うが、その違いをこれから調和させていきたいものだと思うのだが。

    

卯月のつぶやき

この日に今年で四回目の「三・一一 について語ろう」という集まりをばおばぶで行った。
十二名の人々が己の感じるままを語り合った。
今年は最初の頃と違って、どの人にも現実がもうはっきりと見えていると感じられた。この国は果たして国民の幸せを願っているのだろうか。少なくとも国民を守っているのだろうか?嘘をつく、知らないという、それで通っている政治。この国のあり方はアメリカとの条約にしばられ、アメリカ経済の動きの流れの中でがんじがらめになって、戦闘機には膨大なお金をそそぎ、金まみれのオリンピックはやりたがり、しかし被災者の住宅は四年たってもまだ仮のまま。民主主義は茶番劇、愚民政策とはこれか?せめて民間で情報交換を、といっても、聞く耳持たず、という空気が濃い。目先の経済利益のためにすべてが動いているようではないか。国家的なマインドコントロールであるかのようなこの国の仕組み。国自体が原子力村であると。

なんとかできないものか,せめて原発をもう使わない、という地球市民として当たり前の行為が当たり前にこの国で行われるようになるのはいつのことなのだ。
私たちのできることは微力である。微力を重ねて重ねていくことしかできない。良き心を燃やし続ければ、いつかは光が伝わり、力が充ちてシンクロする時が来るであろう、という希望。
各々が自分の信じること、出来ることを続けるしかない、とお互いを奮い立たせるようにして会を終えるしかなかった。

この地域で今年で四回目の東北復興支援バザーを行っている人達が居る。

たまたま三月の初めからの二週間ほど四人の若者の作品展をばおばぶで行っていた。ガラスアクセサリー、ガラスコップ、ペーパークラフト、黒白写真の作家さんたち、四人とも住んでいるところが遠くて実際に会場には来れない、というギャラリー側としては初めてのおまかせ展示会だった。いや結局はおふたりは来ることができて、その出会いに大きな喜びが有り、作品というものがいかに人に深く関わるものなのか、と実感もできたのだった。展示期間が終わったので、たまたま上記のバザーがあり、作品の一部を出していただけないか、とお願いしたら、喜んで、という快諾とともに、私にとっては衝撃的な事実が目の前に現れた。東北の方だと分かっていたのに、今まで何も気付かなかったとは、ここまで私は鈍かったのかと思う。一枚ある、海岸に子供がひとり立っている写真は、あの海だったのだ。

我々の周りの穏やかな日常の日々。錯覚して風化してゆく記憶。しかし現地の、うけた傷の大きさ、深さは計り知れないという現実。実際に体験した人たちの言葉の重さ。その言葉を頂くまでには、少しづつ深められてきていた関係性というのも必要だった。突如深い流れに行き当たる。そこには冷たさがむき出しにみえる。時間が止まるかのように、それが見える。
暖かさが、大いなる暖かさが欲しい、必要だ、と涙が出てくる。
東北の地に生きていこうとしている人の心が見えてきた。冷たい現実の中で一歩一歩を歩いている人の心が、こんなにも美しく愛おしいとは。

                                   

弥生のつぶやき

「路地のあかり」という本を友人から頂いた。その友人はいつも私が自分では決して買わないであろうという本をくださる。それがいつもいい。

著者は松崎運之助さん。夜間中学の先生をなさっていた方。東京シューレから出版。

この本から見えてくるのは、戦争直後から今に至るまでの日本社会の悲惨といってもいい程の状況に置かれ、それを生き抜いてきた人々の生活だ。彼の文章はしかし明るい。この手の心の暖かさに私は弱い。参ったとなる。自分がそう出来ない、その後ろめたさを感じてしまうのだ。

彼が他者の観察者であるだけでなく、ご自分の根っこも淡々と同じ流れの中に表現されている、だから、ひと皮もふた皮も剥けた中身がよく見えるし、 この人の言ってることに真実性が感じられるのだ。

このところ私は目に見えぬ世界への関心度がかなり高まり、天空に浮かびそうだったのだが、この本を読んで、地上に降ろされた観がある。 今の今、目の前にある、現実の世界で、実行すること、この小さな、たくさんの、片付いてない地上のこと・・・ マザーテレサが「インドへ行ってお手伝いをしたい」と申し出る若者たちに「あなたの身近にあなたが愛して差し上げなければならない方がおられます」とおっしゃっていたが、それに近いところの気付きをもらった気がする。

松崎運之助さんの明るさは人々をいとおしんでいるその彼の心の奥からきている。彼は丁寧に、暖かく人々と接する。ご自分のなさったことについては あまり語らないけど、対面にいる人々の様子で彼の暖かさが見えてくる。その空気を想像するだけで、ホロッとくる。 多分不思議な人なんだろう。

他の友人の話からも同じような気付きをもらった。 花咲か爺さん、舌切り雀 は誰でも知っているおとぎ話である。お話を聞く度に、自分は欲張り爺さんなんかではない、と自然に思っていた。子供の時は、決してそんな意地悪な人にならない、と思っていた。しかしである。しかし自分の心は本当にそうなのか?と問われたならば、さあ大変!!という話だ。 ス-パーの棚の後ろの方から賞味期限の新しいのを引っ張り出したり、車の運転中にほかの車の人を罵倒したり、様々な契約や物を買う時だけでなく、たくさんの場面でしっかりといじわる婆さんだった自分がいるではないか?欲がまったくなければ人は生きては行かれないから、と資本主義の世の中でなくとも言えるだろう、しかしその欲と強欲の違いがあって、けっこう密やかにギリギリに強欲婆さんだったりして、そんな場面は記憶の中に多々・・・それを自分の賢さと誇ったりして・・・赤面!

つまりは心の持ち方、だと思うのだが。自分の位置を把握すること、それは世界を把握することでもあり、自分以外の者への思いが湧いてくることである。 自分をチェックし、ひっくり返す事から始まるのだが、さあこれが大変なのだ。そのようなことを言い続けている自分を思う。

これらの気付きを今又もらえたことが嬉しい。 今までの価値観と全く違う価値観になろうとも恐れずに、新しく考え直す、ということは常に必要だと思う。 年齢は重ねるばかりだが、重ねることでついてくる思慮力はある、と信じている。 少しでも自分を良き方へ変えるためのきっかけを捕まえ、実行する。その気だけは持ち続けたい。 老年期はどんどん明るい方向へ近づくラストスパートではないか。いわば花道のようなものだ。 素敵な春へのスタートだ。

如月のつぶやき

「神々と男たち」 というDVDをもらったので見てみた。

1996年にアルジェ紛争でイスラム軍に誘拐され殺害された7人の修道士たちの 話で、2001年にフランスで映画化された。

キリスト教徒とイスラム教徒が仲良く平和に暮らしていたアルジェの小さな村での出来事。 アルジェ紛争という政治的な争いが過激派の動きを生み、次第に危険さを増していった時 、 フランス政府から帰国命令がでる。アルジェ軍も帰国するようにというのだけれど、 修道士等はそれらの命令で動くのではなく、皆で話し合うことにした。 最初は帰る、と言ってた人たちもいた。

ひとりひとりは違った考えが有り、それぞれが迷い苦しむ。 何度も話し合いを続ける中で、彼らの迷う様は、ひとりの人間が、 何のために生きているのかという、根源的な問いとの葛藤であるとわかってくる。 そこには、ドキッとさせられる言葉がいくつも出てくる。 彼らの話し合いは、農業をやり続け、医療をやり続け、祈りを続ける静かな日常の中で 行われてゆく。そして次第に答えは見えてくる。 ここに残る、ここで生き切る、という道だ。 その後、イスラム軍は来る。

戦争の理屈はいつも人を人ではないものとしてゆく。

歴史の流れの中で、私たちは、やはりデカルト・カント以降の流れの子供な ので、その眼差しは信仰の世界に入っても染み付いている。 理神教という言葉がある。近代文明の始まりだ。理性が神にとって代わり、 科学を発達させる素晴しい原動力になったのだけど、 科学は道具の一つに過ぎない、ひとつの思考方法である、ということから逸脱し、 全てを委ねるかのようになった、その挙句、人は行き詰ったのではないか。 唯物論、無神論というものがもたらしたものは、人の孤絶ではなかったか。

近代文明の果てで、人は幸せをつかめなかったのではないか。

私たちは時代の子だから、この時代のプレゼントを頂くことが出来る、正も誤も。 個の与えられた能力で自己決断することは、いつの時代でも 人はしてきたはずだ。我々も、今持てる全てを利用して識別し決断しているのだろう。 全てを超えて大切なものがなんであるか・・・これは個の決断による。

聖霊というものについて今考えている。 アルジェのアトラス修道院には聖霊が降り、働いたに違いない。 彼らの選んだ死は彼らの世界観の結果であり,聖霊の導きだったろう、と 私の世界観は判断する。

人間というものは、いくら宇宙の果てまで知りうることになろうとも、 神と言われている存在を理解することは決してできない。 しかし、知ることはできる。 神が存在しないとしたら、この世界は在りうるのだろうか。 なんと生きがいのないことだろう、と私は感じる。

紀元前一世紀頃に書かれた知恵の書の11:22に、 ”み前では、全宇宙は秤をわずかに傾ける塵、  朝早く地に降りる一滴の露にすぎない”とある。すごい比喩だ。

イスラム教徒も本来は同じ神を知っている人々なのだ。

睦月のつぶやき

ばおばぶは、古い建物なので、昔風の縁の下があって、そこへは潜り込むことができる。ノラさんたちとしては絶好の住処となったのだろう。犬を二匹飼っていた頃にはノラさんたちはこの家には近寄らなかったのに、犬が死んでしまったあと、いつの間にやら住み着いていた。

2014年春生まれた子等が縁の下で共同生活を送っている。一匹のミケの母さんから四匹。ミケと黒白と茶と茶白。こげ茶の母さんから二匹のキジ。もう一匹いつのまにやらぼやけたミケが加わって、7匹の子猫が常時いる。親たちは消えている。産後やせ細った母さん猫がおっぱいをやっている姿を見て、子猫の可愛さと母の姿の切なさとでミルクをやり始めてしまった。これがそもそもの騒動の始まりだった。

ご近所の庭に糞をする。これが問題となる。非衛生的である。

ご近所の皆さんも迷惑をしているから、と行政に訴える人がいた。この方は、ノラ猫の養育者のようである私に対し、餌をやらないように、かれらがこの地域から消えてなくなればいい、とおっしゃる。

彼をエゴというなら私もエゴだろうと思う。
私には本当に何が一番いいのかわからない。

行政は以前はノラに餌をやらないでください、という指導だったけど、これは失敗だったので、今は捕まえて去勢手術をする方針に変えたようだ。その案に乗ることにした。家の裏に彼らのためのトイレを設置することも教えてくださった。少し利用しているようだ。 手術のための捕獲だが、素人には到底できない。行政は猫捕獲ボランティアさんたちを紹介してくださった。優しい方々だ。ネズミ取りを大きくしたような猫捕獲器に餌を入れて設置する。ちょっとの間に捕まったのには驚いた。一回目は3匹。二回目も3匹。捕獲器を布で包み、犬猫病院へ運ぶ、手術の後は病院で一泊、その次の日はボランティアさんのお宅で一泊。それから帰宅。
手術の費用は行政から援助金が一匹につき5000円。オスの手術費はこれでトントンだがメスの手術代は10000円する。この低額でやって下さる病院は限られているので、車での搬送もあり、手間暇全てボランティアさんにお任せだ。
こちらは費用を払うだけだが、なぜオスメス別の料金なんだからそれぞれ賄えるように助成してくださらないのだろうか。この痛みが関わるものの意識を変えるとでもいうのだろうか。

最近巷で聞くクレームは、保育園の子供の声がうるさい、鳥の声がわずらわしい、果ては雀の声がうるさいだって!びっくり仰天だった。それも年配の方、地元の方が多いらしいと聞いて又またびっくり。緑豊かな街は健康のためにも環境のためにもいいことだらけなのに、葉が落ちることが問題となるご時世だ。
何がこうさせているんだろうか。豊かな生活と引き換えに世の中はせせこましくなり、権利主張が進歩と置き換えられ、人々は己中心に生きているんだろうか。

人のわからない部分で、例えば細菌がいろいろ役に立っているように、この世に存在するものは必ず何かしらのお役目があるのではないだろうか。
猫がこの家の縁の下に住むようになってから、ネズミが出なくなった!
フランスのある村でも猫が増えて困って猫退治をしたと。絶滅させようとしたのだが、ある女の子が二匹匿って育てた。ペストが流行り始め、その猫が大活躍で、人間を救った、とかで猫の銅像がやたらと立っているらしい。

日本文化云々を言えた立場ではないが、ぽろぽろと指の間から砂が溢れるように良識ある豊かな文化、つまり心がなくなっているようだ、と私は感じる。
「寛容さ」という言葉が死語にならないように、願うしかない。

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