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2012年

今月のつぶやき

2月のつぶやき

23日が 旧暦の一月の元旦であった。 そして新月だったのです。
皆様はその前後の体調はいかがでしたか?

私は何年ぶりかに風邪を引いたりして、なんだこれは、と思ってました。
ふっと取り付かれたような風邪でした。

私の友人は 何の原因もないのに ひどく落ち込んで、と言ってました。

二人だけの反応でなんだかんだは言えません、はい、
でも天体の動きと人間の関わりがなにも無い訳がない、
と広大なスケールで想いを遊ばせます。

天体とまで言わなくてもお天気は確実に人に影響します。
寒さが厳しいので風邪を引いたのでしょう。

氷河期に入るとか入っているとかの話を聞きました。
地球温暖化は嘘だった!のだとか、クリーンエネルギー云々につなげたりして・・・

寒さと言えば 吉村昭の『大黒屋光太夫』という江戸時代の漂流の話にでてくる、
ロシアでの寒さは信じられません。
家あたりの冷蔵庫の中より寒いのではなかろうかという環境で、
そんなところで生きてゆくことを想像すると、今の東日本のこの穏やかな冬を
寒いなんていったら罰が当たりそう。蝋梅がきれいに咲いているではないですか。

吉村昭の『三陸海岸・大津波』という本がつい最近回ってきて、すごい、全く同じでした。
明治二十九年と昭和八年の大津波と平成二十三年の三・一・一が。
人というものが学ぶ、学ばない、とか、喉もと過ぎれば、とかではなく、
本質的に違う観点がありました。
『自然災害だから これからも際限なく反復される』という言葉にどきっときました。

このことは多分心の奥では誰でも知っているのです。
そして又 人は何時かは死ぬ と言う事も 誰でも知っているのです。
でも自分だけは免れる、少なくとも今は、しばらくの間は、みたいな幻想をい抱きつつ、
地面にへばりついて目の前の事だけ眺めて暮らしているのです。

人は自然の一部です。

1月のつぶやき

”去年今年貫く棒のごときもの”  という虚子の句は何時出会ってもいいなあと思う。
中学か高校の国語の時間だっただろう、一番最初に出会ったのは。

この大晦日と正月の境目のところ、
他の日々とは違う大切な瞬間であって
そこを棒のようなものが貫いていると歌った虚子は
宇宙的な時の流れに 俺は生きているぞ~という意識を
クロスさせるという・・・すごく大きな景色でうれしそう・・・
なんて勝手に解釈していいんですかね、
いいんです。個々で解釈が違ったって、いいんです。

ここが時の流れの切れ目という意識は 日本独特なのだろうか。
クリスマスが一番大切なお祭りで 正月は付け足しみたいな文化圏もある。
旧暦だと正月は 一月遅れとなるが、二月をスタートにするほうが
季節的に春の始まりとしてはふさわしい感じがするがそれは現実感覚的か。

クリスマスの前にあった 冬至の日に 天体の廻りと宗教的な暦を考えてみた。
冬至から クリスマスは微妙にずれている。
でも闇の中から希望の光が生まれ出てくるという意味では 同じなのだ。

どちらにしろ 太陽の恵みの少ない もの皆枯れ果てる冬に 世界中の人々が
命の繁栄を願うのはキリスト教以前の太古の昔から
様々な信仰、しきたりの流れとして 残っていたようだ。

日本での正月の意識は ここで時を大分断してしまうものだったが
いまや 平日とあまり変らなくなったりしたのが なんとなく寂しい。

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