弥生のささやき

「沈黙」という映画をみた。監督はアメリカ人の M・SCOCETTI、原作が遠藤周作の「沈黙」である。1966年の出版である。それを英語訳したのが、上智大学の英文学教授でありイエズス会の神父であった William・Johnstoneという人だ。日本語の勉強のために翻訳をしたとおっしゃていた。当時の日本のカトリック教会の一部は、キリシタン時代のこの本を、神父が転ぶという内容であるため、禁書扱いとした。そして、Johnstone神父は教授職から干され、学部を変更され、宿舎も移動させられた。しかしアイルランド人の闘士の子である彼はめげることもなく、静かに神秘神学の専門に打ち込み、又日本の仏教、特に禅宗を学び、カトリックの祈りの中に禅宗の祈りの方法を取り入れ、そのスタイルを広められた。ロンドンでのドミニコ会主催のダライ・ラマのセミナー等、国際的なセミナーへの参加が多かった。英文での著書がたくさんある神秘神学者である。遠藤が生涯課題としていた、カトリックの日本化にも、つまり、東西の宗教、文化の融合のために彼は働かれた。

2017年、「沈黙」が映画としてブレイクしていること、ヴァチカンで試写会、天国でのJohnstone 神父の笑顔が見えるようだ。

さて、映画を見ての感想だが、原作をずいぶん昔に読んだので忘れているところもあるが、どこかが変えられているような気がする。でも当然だろう。かまわない。テーマ自体はより深くわかりやすくなっている。当時の庶民があれだけポルトガル語を話せたかどうかは疑問だが、それも、映画作品としてのこと、我々観客にわからせるための言葉だから、かまわない。しかし、大日、SUN,SON の説明は少し舌足らずだった。大日如来はDEUSと変わりないところの、あるものなのだから、間違っているわけではないのだが、どのようないきさつであのような表現となったのだろうか、ザビエルがなにを言ったかだが、あまりにもジョークっぽすぎる。

人の弱さがテーマになっていると思う。これは、遠藤のテーマでもあった。吉次郎はみっともないくらいに弱さをさらけ出す。しかし、生き残ることは大事なことではないか?拷問も避けたいではないか?その選択が弱さか。宣教師たちも弱さを出す。その迷う一つ一つがぎりぎりに命が掛かっている。そんなに簡単ではない。使命を取るか、生命を取るか。時と場合によって、同じ人ですら違った結論を出しうる。ロドリゴという宣教師は目の前で逆さづりになり苦しんでいる村人を救うために、愛の行為だと言われて、拒み続けていた踏み絵を踏んだ。自分の今までの人生を捨てたわけだ。それは弱さか?強さか?

強者として扱われている殉教者たちだが、果たして強者だったのだろうか、と今思いをめぐらす。彼らの信仰が強かった、と簡単にいうが、そうなんだろうか。彼らも弱かった、だから踏み絵が踏めなかった、かもしれない。彼らの信仰がどんなものだったのだろうか。
信仰ってなんだろう。パラダイスに行くためのもの、だと庶民は考えていた? そうかもしれない、いや、違うかもしれない。わからない。しかし、あの時代、なぜそんなに激しくキリシタンになったんだろう、そんなにたくさんの人々が、一時的にせよ? キリストに目覚めた? あるいは錯覚? あるいは個の意思なく皆といっしょ?そうかもしれないが、違うかもしれない。わからない。

しかしここで、キリストを信じる者としての見方の一つを、私は述べたい。
神は決して沈黙をしてはいなかったのだ。ロドリゴの踏み絵の時だけではなく、人々が洗礼を受けた時、殉教の時、棄教の時、ひとりひとりの心に語りかけ、働きかけていたはずだ。記録されているだけでも4~5千人、記録されなかった4万人にも及ぶであろうという殉教者たちとはキリストは確実に痛みを分かち合っておられた。神、キリストと共に生きることの至福を人びとは納得していたはずだ。棄教者には生きる道を示す神の働きかけがあったはずだ、と。

映画の中で明らかに示されていたのは、官憲というものの持つ、彼らみずから言う、沼地のような、どろどろとした、そして執拗なまでの冷酷さ、残酷さである。権力は徳川の力を示し、保つため、ただそれだけのために、蛙を追い続けいたぶる蛇のようである。この底流は今に至るまであるのではないか。しかし、世界史を見ると、どこでもいつでも、権力というものは同じように、傲慢で、理不尽で、残酷で、人を人として見てはいない、人を守るためのはずの権力が、権力を持つ人だけを守ることに終始する。
その権力だけがあの映画の中では、強者として、いや、強者のふりかもしれないが、存在し続けていた。

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