長月のささやき

夏休みに「ヒットラーへの285枚のハガキ」という映画を見た。これはゲシュタポ(秘密警察)の文書記録をもとにハンス・ファラダという作家が執筆した小説「ベルリンに一人死す」が原作。

1940年ある労働者夫婦の息子が戦死する。夫婦がその悲しみから真実に目覚め、ヒットラー政権を批判する言葉をはがきに書き街の中に置き始める。ヒットラーという支配者は、演説で大衆の心を扇動する能力に秀でていた、と言われているが、その全体主義、恐怖政治の中で細心の注意を払ってハガキを書き続け置き続けてゆく。その行為が自分を”自由にしてゆく”とその労働者の言葉があった。捕えられてギロチンという結末なのだが・・・

たまたま同じ時期に、「イエルサレムのアイヒマン」――悪の陳腐さについての報告―― ハンナ・アーレント という本を友人から借りて読んだ。何年か前にハンナアーレントの映画を見たが、アイヒマン裁判に関わるものでこの本と重なる。あの映画の感想はこの欄に一度書いたことがある。考えない、という罪、目の前で行われている悪に関して頬かむりをする罪、とでもいおうか。アイヒマンの罪はそれであり、我々も犯す可能性がある、と。悪とは何か、を追求する凄まじさは著作の方がやはり圧巻である。当時のヨーロッパ全般にわたるもので、社会状況のみならず人の心の奥深くまで探り、表現できるハンナ・アーレントの傑出した能力を感じる。

なぜ今ヒットラーなのだろう?そんな動きを聞いたような気もするけど、つまり余りにもきな臭いので、二度と同じ過ちを繰り返さないように、という理性が世界のどこかで動いている、というしるしかな、たまたま私も引っかかったのかしら。ユダヤ人の歴史は世界史の底流にある骨のような気がして興味を覚えるところなのだが、ホロコーストの部分を抜きにするわけには行かなかったのかも。7月に見た「アースキャラバン」というドキュメントの映画も、やはり世界のヘソはあそこ(エルサレム)だと示していた。

そのヘソのことを少し。
ソロモンはBC10C頃のユダヤの王さま。彼はエルサレムに神殿を建てた。今現在エルサレムで岩のドームと呼ばれているイスラム寺院のある場所がそのソロモン王の神殿のあった所だ。
ソロモン王が神殿を建てたことによりエルサレムがユダヤ教の信仰の中心地となる。
しかし平和が続いたわけではなく、バビロンという大国がユダヤを攻めBC586年エルサレムの神殿を破壊する。60年後にペルシャ王の助けによりユダヤ人はエルサレムに戻り神殿を再建する。
他民族との戦いでエルサレムの神殿破壊は以後何度となく行われた。その都度、ユダヤ軍が勝てば神殿を再建する。BC20年にはユダヤのヘロデ王の神殿拡張が行われ立派なものが出来た。この神殿にイエスも通っていた。AC70年ごろユダヤという国はローマ帝国への反乱を起こして滅びる。神殿はひどく破壊され、嘆きの壁と呼ばれている部分はこの時に残った唯一の部分なのだ。ユダヤ人は追放され、以後ユダヤ民族は離散の民(ディアスポーラ)となる。現代に至る約2000年の間、世界中各地に散って生きてきた。そしてユダヤ人は各地で[公的]に差別、迫害、果ては追放、虐殺されてきた、ナチのホロコーストに至るまで。しかし様々の才能を開花させ学問、文化、経済を発達させてきたのも彼ら独自の在り方故である。

エルサレムの地には4世紀にローマの国教となったキリスト教教会ができる。ユダヤ人の居住も許されるようになる。イスラム教が638年にできて、イスラム勢力がエルサレムを占拠する。7世紀末にソロモンの神殿跡にイスラム教のドームが作られる。1099年からの十字軍の遠征により何度かキリスト教徒がエルサレムを占拠したものの、1187年のサラディンの勝利によりイスラム教徒の占領下となる。マホメットがこのエルサレムから昇天したという話もあり、ここがイスラム教徒の第三の聖地となる。

もともと父祖アブラハムから生まれた異母兄弟、イシュマエルがアラブ人(イスラム教徒)の祖先、イサークがユダヤ人の祖先と言われている。旧約聖書を経典としていることはユダヤ教もイスラム教も全く同じなのだ。エルサレム神殿あってのユダヤ教であり、その地を奪い聖地としドームを建てているのはイスラム教であるが、ユダヤ教より生じたキリスト教にとっては神殿はもはや必要はない。神殿侮辱罪もイエスの十字架刑の理由の一つだった。

第三次世界大戦に発展しそうな最近の戦いに関して、キリスト教とイスラム教の戦いであると言われているようだが、本当にそうなんだろうか?と私は思っているのだ。ユダヤ教の絡みがかなりの比重を占めるのではないかと。ユダヤ教とイスラム教の戦いなのではないかと。

ユダヤ教の中のエルサレムの神殿奪還願望は過去を見れば見るほど浮き上がってくる亡霊のようなもの。フリーメイソンとかいう組織の存在も亡霊のようなもの。ユダヤ人が生き延びるには亡霊のようになって初めて可能であると、彼らが学んだ余りにも苦い過去、というわけではないか。既にもう何百年も黒子として生きてゆく道をユダヤ人は選んでいるのではないか?

しかしそもそもキリスト教徒は何故ユダヤ人を嫌ったのか? イエスはユダヤ人だし、原始キリスト教はユダヤ人によって始められのだが、どのへんから敵視し始めたんだろうか。国を持たない、しかし能力のある彼らを嫉妬し、差別し負の連鎖で憎しみを育てていたのか。日本の江戸時代、士農工商の下に非人を設定するという支配者の意図があったが、同じような意図もあったのだろうか。世界の歴史は権力闘争の歴史であろう、表の歴史を見るだけでは、勉強の足らない私等には到底わからない事柄が含まれているのだろう。何かが今ひとつわからない。

人の世では、誤魔化し嘘をつく人とか権力はいつもある、誤解や錯覚は人の常、思い込んだら百年目。いろいろ積み重なって、その中に飲み込まれてゆくのかもしれない、といえば、そうだ、と哀しく納得する。

哀しい、現実は余りにも哀しいことが多すぎるが、一方、明るい光、希望があるから生きている、と思ってはいる。どんな亡霊が現れようとも亡霊は亡霊であると識別する力を備えるにはどうしたらいいのだろうか。これはたいへん難しいと思う。しかし、人に対する希望、信頼があるのも確か。それを大切にしよう、これはそんなに難しくはない。心を静めて、落ち着いていこうではないか。ヒットラーの時代でも飲み込まれないで己の考えを貫き通した国々があった、デンマーク、イタリア、ブルガリアなど。そして個人があった、という事実を知って、嬉しく思っている。百一匹の猿、という話があるが、じわじわと静かに増え続けある時バタッと大変革・・・というのは夢ではない。