葉月の書き散らし

大学を卒業して50年、記念の同窓会があった。

一瞬識別つかない人が半数ほどいたが、私自身が一番誰だかわからなかったようだった。歳と共に痩せ、昨夏に弱った以後またまた痩せ、栄養失調でもあり、ある薬の影響で色も黒くなり、若いころのどでかい派手な女の子の面影が全くなくなったようだ。胸に下げた名札でやっと識別された。

女性が多かったクラスだが、その女たちがほとんどみなさん若々しく綺麗に見えるのには驚いた。肌は白いし化粧も乗っているし、キラキラして見えた。若い時にはそんなふうにに感じなかった。自分が世界の中心だったからだ。(今はだいぶ端っこの方におります)

男たちはあまり表面的には変化が見えずそのまんまでアクがなくなったふうでさっぱりしてた。会話は彼らとの方が楽だった、それは昔のまんま。

皆が二次会に出るというので、私はそこで数人に別れを告げ失礼した。学生の時はもちろん大酒飲みで、アル中一歩手前まで行ったこともあるが、もうほとんど飲めなくなっている私にとって、二次会はあまり楽しくない。炎天下で歩いたりもしんどいし、惚れた腫れたの相手もいなかったし、舞い上がる気分はそれほどなかった。

仲間だった一人に前日電話で出欠席を聞いたところ来れない、家から出られない、という。どうも少しおかしい、と感じたので、もうひとりを誘って彼女の家に行くことにした。いく前から、少しずつ様子が分かってきた、というのは、彼女の記憶が全くあやふやなのだ。数日前に言ったことがすっかり消えている。何度もあなたは家で待っていてね、を繰り返さねばならなく、何日の何時頃行くよ、書いといてね、と繰り返す。

当日の朝、彼女の弟さんから電話が入った。認知症がかなり進んでます、今も横浜駅の西口にタクシーで我々を迎えに行く、と言っているとのこと。前はちかくの駅の西口まで自分がタクシーで迎えに行く、とは言っていたのだが。ともかく彼が入ってくれて(彼は一週間に一度ぐらいしか来れないそうなんだが、ジャストタイミングだった)よかった、よかった。

彼女は足が少し不自由だったのでずっとご両親と同居していた。私は学生の時も、その後も何度か訪ねたことがある。大きな公園の辺にあった彼女の実家に泊まっていたその時に、英字新聞で帰国すぐの我が就職口を探してくれたりの恩もある。退職後ご両親も旅立たれ、その家、敷地を処分し、公園の向かい側に建てられたマンションに移った。大きな立派なマンションだった。中に入り彼女のナンバーを探したのだが、どこをどういったらいいのか分からないほど複雑な作りだった。管理人室は空っぽだしで、たまたまいらした住人の方に聞いたところ、案内してくださるとか、わたしの友人も来て迷うのです、とおっしゃってた。

我々を玄関先で迎えてくれた彼女は、笑顔は昔と変わらなかったが、体はひとまわりりもふたまわりも小さくなったんだろうか、白っぽいグレーの塊のような姿が玄関の奥の光に溶けそうだった。廊下の奥の居間に案内された、明るくて広くてとてもきれいに整頓され掃除がなされていた。引越しする前の古い家の時は猫が20匹もいて、家の中はひどく乱雑だったのだが、あまりの違いにびっくりした。お掃除をする人が来ているらしい、お料理もしてくれるらしい、デイサービスとかに日中は行くそうで豪華マンションが綺麗なままに保たれている。同伴を許された猫は2匹。

彼女は大学院を出てからずっと母校のドイツ語の講師をやっていた。独身だ。料理はできないよ、と言ってたので、持参してきた寿司弁当、しゅうまい、採れたばかりのビワ、もうひとりの友はメロン、フルーツケーキ、とひろげて食事を始めた。会話をしている分には普通なのだ。昔の教授たちについて話す、授業について話す、あんなことがあってね、あの人はこうだってね、と、しかし昔に比べるとあのおしゃべり好きが、あまり話さない。私がしゃべりすぎるのもあるが。そして繰り返す、あんた痩せたねえ、時間が経つのはあっという間だねえ、を繰り返す。

友で認知症というのを初めて経験したのだが、一人暮らしの老人が多いい昨今行政の助けは本当にありがたい、それ以外に周りの人間の関わりも重要なんだろうというのも感じた。人はただ生きてりゃいいというわけではないんだ。人として心暖かく喜びを持って生きたいし周りの人もそうあってほしいと願うだろう。家族としての対応も世の中のそれぞれの家族がそれぞれの問題を含みながら様々であっていい。友もまた然り。

電話での話し相手ならできると思って試みたが、そんなに簡単なことではなかった、つまり、理屈が通ろうと通るまいと、たんたんと接しようと思うんだが、帰ってくる意外な反応に、困惑している自分がいる、めげている。 

      青嵐心騒ぐや昔日夢         ざくろ