神無月のささやき

スイスアルプスのあれはどこだったんだろう、どこか山岳地帯をドライヴして、夕食前のひと時だったのだろうか、車が止まり、降りてごらん、と言われ何もないところで、ほのかに明るい真っ暗闇に降りた。あまりそちらへは行かないで、といわれ、そのあたりを見ると、崖っぷちのようなのだ。さあ、上を見てごらん、と彼は私を支えながら言った。何という天だったろう!星が、星が、あのように星の満ちた空は我が人生であの時しか見たことがない。息が詰まるほどの驚きだった。細かなダイアモンドのくずが一面に散らされているようだった。ここから見るのが一番美しいのだ、君に見せたかった、とひんやりとした夜の空気の中でPは私を抱きしめた。

ジャコメッティ展が六本木で行われていた。
彼はスイスのグラウビュンデン州で生まれている。グラウビュンデンは山好きの私としてはどこもかしこもがため息が出るほどの美しい山岳地帯である。私の友達が住んでいるトゥリンもそこにある。サンモリッツというリゾート地にセガンティー二の美術館がある。あの星空のロマンに浸ってた頃、P(彼は隣の州の出身)がやはり連れて行ってくれたのだが、建物自体もセガンティー二の作品とかのその美術館にジャコメッティの彫刻がおいてあったような記憶があるのだけれど、このあたりのどこか他だったのかもしれない。ニーチェが病んで静養をしていたシルス・マリーの静かな湖もほど近い。トーマスマンの魔の山の舞台となったダボスも近い。初めて山の中でジャコメッティの作品に出会って、なんとなく気に入っていたのだ。ジャコメッティがスイス人、それもグラウビュンデン人だと分かって、わーお、とうれしかった。あそこはわが青春のドラマの舞台だからだ。

六本木の新国立美術館の三階に心地よい図書室があるから、と教えられて、展示会を見たあとに今回はそこに行ってみた。読みたかったのは矢内原伊作の本。彼自身がモデルになった時のジャコメッティとのやり取りを記した「今畜生! 糞!」とかいう言葉がふんだんに出てくる本で、外は雨で一時間程読みふけり、その後又一階の展示室に降りてもう一度作品を見直した。「顔は鼻の頭の三角形が一番大事で」と彼は何度も何度もその部分をやり直すそうだ。「自分に見えるものしか作れない」と言って、人が針金になるのだ。しかしそれで納得できる、この針金でいい、と思える。そしてそれが美しい。もう一度確かめたかったのは矢内原伊作の肖像画と彫刻がなかったような気がしたので行ったのだが、やはりなかった。スケッチのようなものはあったが、肝心な肖像画はなかった。もちろん彫刻もない。 ふたりで並んだ写真があったけど、そっくりな兄弟のようだった。出会うべくして出会った二人、とすぐわかる。

矢内原伊作の本によると、かの天才の日常は狂気と紙一重、ぎりぎりのようだ。それが許されていた、よい時代だったんだなあ、と思う。パリだからかもしれない。時代と場所は芸術を生み出せるかどうかの大きな要素だろう。まわりの人たちもだ。やはり一回性なのだ、天才は。 いや、ちょっと待てよ、何もかもが、この地上で起きていること、この宇宙で起きていること、すべての現象が一回きりではないか?!! そうだよ、全ては一回性なのだよ。すごくない?