皐月のささやき

いつの世も若者は新しいことが好きで、もたもたした年寄りの感覚などは相手にもしていないようだし、私ら老人が彼らの会話に入っていくのはむつかしい、言葉が既に違っていることもあるし、私が若かった頃もそうだったが。

この感覚の差を乗り越えてコミュニケーションをする必要が有るか、ないか、と言ったら当然、ある。若者たちが異星人のように、我ら年寄りよりは賢いようにも思うが、いやどっこい、年寄りにだって彼らの到底及ばない、何と言ったらいいのだろう、とりあえず 把握力と言っておくが、理屈では説明しきれない世界の判断においてはかなうわけがないはずだ。そして積み重ねによる確信は年寄りのものだ。頑固者もいるが、いくらでも柔軟になれるというのも年寄りだ。

年を取ってきて、そう、思い込みを外すことがメインの課題となっていた。その課題を抱えて数年たって、はっと何かに気づくことが時にある。例えば聖書。イエスを殺したのはユダヤ人、とずっと思い込んでいた。だからユダヤ迫害も起きたと言われ納得してた。なんどもなんども読んでいるところなのに今やっとその単純な文章が読めたのだ。イエスを殺したのはユダヤ人だけではなくてローマ人の協力があったから可能だったのだ。ユダヤ人が画策し民衆を誘導したのは確かだけど、実際に死刑を決定したのはローマの総督ピラトだし、イエスを侮辱して鞭打ったりつばをかけたり、翻弄して十字架にかけてイエスを殺したのはローマ人なのだ。2000年この方ローマ人がそのように批判されたことがあっただろうか?ない。あるわけない。彼らが中心でキリスト教を立ち上げてきたのだから。

輪廻転生も人の魂が人としてなんども人生を繰り返す可能性、としてヒンズー教の昔からあったのだが、キリスト教会は否定している。信者を教育するために行った数々の嘘があるようだと感じてはいた。時代、文化の差でと黙認していたのだが、やはり嘘は嘘として見極めたいと思う。そこにはそうする意味があるから。そう、輪廻転生もなかったことにしたその意味は?人々に緊張感を与えるためかしら?一回限りの生の方が救われるためには今ここでいい子になるしかないでしょう。カトリック教会は自分の掟の中に信者を統率したかった。歴史の中で宗教というより政治というジャンルでヨーロッパを制覇してきたようなので、宗教的に見ると全くの正反対の動きが見られる。輪廻転生が真実である、ないとは別問題。

輪廻転生といえばシュタイナーのアカシックレコードの差し出す世界観はさっぱりわけのわからんところもあるのだけれど、いろいろ可能性を飲み込むなあ~と眺めだしたのも最近だ。だからといって私はキリスト教を捨てようとしているわけではない。あそこにはいい部分もあるのだ。真ん中によくわからんけどなにかがある。キリスト教も変化し成長するのだ。私の立ち位置は変わらない。

そう、だからどこかしらでいつも何かがほぐれてくるようになると世界理解が進むと言える。今オープンダイワローグと言われる精神医療治療法が注目を浴びている。これは革命的な治療法だと思う。普段の対話にも応用できそうなので、5月1日から始まる勉強会に参加したいと思っている。

ほぐすのだ、ほぐせば通じる、あたらしいエネルギーの流れはいいものを運ぶ。今ばおばぶで始まったフェルデンクライスという療法も全く同じだ。体をほぐすのだ。全く力を抜いて、ほぐせば流れる、流れれば自然にどこかの何かが治っていく。