水無月の書き散らし

土の香りのいい時期だ。
 
鈴木大拙の「日本的霊性」という本の中に、大地性と見出しのついた文がある。天は畏れるべきものであるが大地は命そのもの、天の恵みも大地を通して初めて人に届く、大地の母性について
とかの説明があり、平安時代の文化がいかに大地から遠く、武士がが平安時代に地方において政治に関わらなかった間、農耕を通して大地性に親しんでいた、大地は命に関わり、霊的なもの、宗教性へとつながってゆく。鎌倉時代はその流れで霊性が伴った生命力のある武士の時代となり、仏教が生まれてくる、という説明であった。

ひたすら生い茂っている垣根があまりにも、荒れている感じなので、手入れをしようと、助けを借りて始めた。伸びに伸びたアイビーの先の方を切り落とし、笹を切り、積もった枯葉をどける作業にかかった。萩やバラの木が弱々しくアイビーの影から出てきた。かわいそうに、ごめんなさいだ。枯葉を軍手の手で書き出すようにすると、土が出てくる。なんとも香りがいい。懐かしい土の香り。

教会付属の幼稚園の運動場から土が消えてかなり立つ。緑色のヘンテコなモノが敷き詰められている。気候がよくなったこの日曜日に、ふっと足に違和感をおぼえた。土でも草でもない嘘っぽいものの上で子供たちは遊んでいるのだ。私がこの幼稚園に通っていた時は、まあ大昔でしたけど、石ころだらけで、ホコリっぽかった。私の子供たちも水たまりで泥遊びをしたことを覚えている。それらはもう許されないのか?行き過ぎた衛生観念は人を弱くする、と感じてはいたのだけれど、「あなたの体は九割が細菌」アランナ・コリン、という本でまさに目からウロコ。細菌が人を活かしているかのようだ。びっくり新発見の世界だった。

大学で陶芸をやっていたという方から聞いた話。(私も何年も陶芸をやっていながら全く知らなかった事だったが)古くなって固まっているような粘土に砂糖を加えるのだと。そうすると中の菌がそれを食べて、そしてウンコをするそうだ。すごくくさいって。でも粘土は柔らかく粘りが出て使えるようになるのだって。あの陶芸用の粘土の中に細菌が生きているのだ。

海の公園に散歩にゆく。我らが母校文庫小学校の東校門のすぐ前から昔は砂浜だったのだけど、今は埋め立てられて海はずーっと遠くになってしまい、房総半島も見えない池のような海に変形されてしまったが、公園ができ、緑地ができ、散歩道ができ、広い砂浜が広がる。散歩道を外れ緑地の中に入って歩けば土を踏める。ここに来てやっと柔らかい土の上を歩ける。足裏から心地よい。

称名寺にゆけばほんまもんの土がある。後ろには山もある。ここは縄文人の住んだところ。金沢町のへそ、子供の頃そこで遊びまわっていた私の原風景、海もつながって原風景。

大地、自然には大きな大きな慈しみを感じる。ほっとする。

  朝ごとに筍探すわくわくと      ざくろ

  ほりこしのぶよ