水無月のささやき

皐月は我が誕生日があり母の日もあり、花が美しいし、緑は勢いを増してくるしで、グーンと元気の出る月だ。今年は特に元気だ。
母の日の朝教会のミサへ行こうと、カフェの入口のガラス戸を開けたら、足元に真っ赤なバラの花束が寝かせてあった。
びっくりしたが、そうか、夕べ遅かったんだろう、鎌倉での結婚式にカメラマンをやると言ってたから、帰りに寄ったんだな、今日は来れないということか・・・
毎年母の日には紅薔薇の花束を持ってきてくれる息子が居るのだ。パパが生前事あるごとに紅薔薇の花束を買ってきてくれてたのを、子供が覚えていたのか、私が語って聞かせたのか定かではないが、うれしいことだ。
十年以上も前の話になるが、俳句を一緒に作っていた若い人たちがいて、三人で、私の還暦の誕生日に、60本の赤いバラの花束を持ってきてくれた。なんという驚き、喜びだったことだろう。素晴らしく大きな花束だった。そしてまた数日前の誕生日にはこれまた美しい花束がわんさと来て本当に幸せだった。

日本の男性は花を買う習慣があまりないようだが、私がスイスに住んでいた頃、スイス人のダーリンは、かなり頻繁に小さな花ではあったが買ってきてくれたもので、それがとても嬉しく、日本に帰ってきてから、日本のダーリンにそのよさを伝えたのではあるが、根付いたようで嬉しい。

スイスでの体験で日本の控えめな男性に欠けているもうひとつ習って欲しいことがある。それは頻繁に「愛してる」と言ってくれること。朝、出かけるときにでも、「いってきます、君を愛してるよ」、台所仕事をしている時も、「愛しているよ」と囁いてくれてもいい。いつでもいいから時々言ってくれると、「君は美しい」もその一つだけど、その気になって、幸せな気分になる、それでいい。多少真実味がなくともいいじゃないですか。言わなくたってわかってるだろう、では楽しくない。パチンと幸せの小さなシャボン玉がはじけるようなのだから。しかし文化風土というか、男女間の在り方があちらとこちらでは多少違っているようではあるが、宇宙は変化し続けているのだから、良いことは取り入れよう。

シュタイナーの「治療的教育論」の読書会のおしゃべりで聞いたことだけど、保育園では、かわいい、とかいう褒め言葉を園児に言ってはいけないらしい。本人にはどうしようもできない容姿とかだったら、言われない子供がいるからですかね。反対に言われ続けるとその言葉でその気になり、そうなってしまう。磨かれる、ということだったら個人的に自分の子供に言い続けたら、そうなるかもしれないという期待が出てくるではないですか。その気になっていい方向へ行けばそれはそれで素敵なことではない?見えている長所を言えばいいこと。足が長い、ということを言っていたらどんどんそうなった、という話まで出てきた。

しかしどちらにしろ無理なく自然に、心の中に浮かんだ言葉があったら相手に伝える、というのが基本ではあると思う。
男は黙ってoooビール、なんて古いが、そんな空気が美化されているのが日本だ。対話不足であることで起きる問題はたくさんありそうだ。よりよき対話をする必要性に迫られている時代だと思う。オープンダイアローグというフィンランド発の考え方(精神治療法ではあるが)は、とても興味深い。多くの人に応用できそうだ。その勉強会はこの五月にばおばぶで始まっている。