文月のささやき

謙虚に自分を知る一日というのは、祈り三昧の千日に勝る。
(アヴィラの聖テレジア)

コキを古希と書くにはまだ抵抗があって、しかしその意味を考えると、複雑な気分となる。希(まれ)なる古さ、とはよく言ったものだ。時代が変わったとはいえ、70年というのは70年なのだ。まさか自分がここまで生き延びるとは、想像はしてなかった。それもこんな気分のまま、つまり若い時とほとんど変わってない意識のままだ。身体はガタガタで、だましだまし使っているし、いろいろな能力もどんどん落ちてくる、見た目は、認めたくはないが、ハットするほど婆さまとなっている。それでも意識は言ってみれば子供の時と変わらない部分が中心にあるのだ。

コキは還暦よりもぴりっと鋭い感じで迫ってくる。残された時間の少なさが多分そうさせるのだろうが、老年期にはふさわしくないような、緊張感すらある。(こういう感じ方は偏りすぎかな、という懸念もチラリ)

「私の人生を作品にする」と学生時代にほざいていた事がある。それはその通りになってきたかもしれない。しかし、である。作品とは何なんだ?

朝の目覚めが良いと、一日は爽やかに始まる。目覚めが悪い時は、これは夜の間の何らかの影響なのだが、お月様の影響かも知れない、気圧かも知れない、OOかもしれない・・・頭痛があったり、朦朧とした気分だったり、息苦しかったり、で一日のスタートは重くなる。

あるすばらしく爽やかな朝があった。庭の茂る緑に降り注ぐ陽の光を美しい、と感動し、とても幸せになった。なんて素敵な日なんだ、と、誰かに伝えたい、と思った。猫のエリシャもテーブルの上でのびをしながらゆったりと横になっている。宇宙万物のもと、人も猫も同じようなものさ、と座っていた椅子に深く沈み込んでみた。頭は空っぽ、なにも考えない、なにもしないという幸せ。

こんなに幸せでいいのだろうか・・・?