文月のささやき

オープンダイアローグというフィンランドで始まった心の病の治療法がある。斎藤環先生が数年前に日本に紹介された本を読んで、面白いなあ、と思ってたのだが、今や我がばおばぶでその勉強会が行われるようになった。程よいテキストが出てきたことと講習会で学んだ方がいて、可能になった。ばおばぶでは珍しく、つまり私が夜に弱いので、夜はなるべく早く終わらせようとしているのだが、この勉強会は、6:30に始めている。参加者も仕事を終えていらっしゃる方が多いし、私も熱が入っているのだ。

第一回目、その前提となる心構えを学んだのだが、その内でインパクトの大きいものが二つあった。そのひとつは、 
わからないことはわからないままにしてそれに耐える忍耐力を持つこと、
もう一つが、問題を解決しようとする心を捨て去ること、とあったのだ。

これらは今まで我々が受けてきた教育と正反対かもしれない。ひょっとしたらギリシャの昔からの人の癖を今変えようとするのか。私などは問題とあれば反射的にその解決法を探しているのが当たり前。わからないことがあればすぐ知りたがるのも当然、貪欲に追求することに快楽さえ覚えてきたりする。そしてホモサピエンスにそういう癖があったからこそいろいろ文明は進歩してきたのではないだろうか?とも考える。

そうであったとしても今必要とされているのは違った舵取りである、ということなんだと思う。特に心の病というのはとても微妙で、風邪引きと同じくらい人には当たり前の状態なのに、うつ病だ、と思い込んだり、心の持ちかた次第だったりするのもあれば、トラウマから来るのもあるし、あるいは脳内のある部分の欠陥、障害による症状からだったり、薬の影響だったり、いろいろあるんだろう。統合失調症とか言われている症状が大昔からあったのか、現代病なのか、はっきり把握もできない(今はわからないままにしておく)がその病を薬なしで直してしまう魔法の治療法だ、オープンダイアローグは。

世の中に蔓延している価値観に問題はないのだろうか。私の周りにも心の辛さ、生きがたさを訴える人たちが増えたような気がするし、神経の敏感な人が環境に合わせて生きてゆくのはきついことのようだし、私のような鈍感な人間でも、なにかがおかしくなっていると、感じざるをえない。資本主義の世の中、確かにお金儲けは必要なんでしょうけど、どこかが狂っていませんか?

ダイアローグって対話です。モノローグとか演説ではなくて対等の関係性での対話です。これって、日常生活で行われていますか? 治療法、というよりこういう風に話したい、日常生活に取り入れたい、というのが私がこの治療法を学ぶ目的です。人類の革命かもしれない。世界観を変えるのです。