師走のささやき

こはる

立冬や命一つをあずかりて

この立冬の日、ばおばぶではライブをしていた。笛とパーカッションと踊り。
音は控えめに、と言ってはあるのだが、だんだん興に乗ってくるとそうもいかなくなる。
ライブの渦中突然電話が鳴った。スタッフはご近所さんからの抗議の電話だと思って、
恐る恐る受話器を取り上げたところ、私の息子からだった。

初孫誕生の知らせだった。予定日よりも早いが、元気な女の子が
生まれたと。わ~を~!と喜びがわいてくる。

なかなか見に行かれなくて、二週間近くたって東京にいたので、その足で
お嫁さんの実家を尋ねることにした。

孫というのはかわいくて仕方無くてメロメロになるものだと相場は決まっている。
人様の孫自慢というのは聞いていても面白くもないし、
そんなばあさまにはなりたくない、
私にはワンクッション何やら冷たいところがある、と思っていた。

駅まで車で迎えに来てくださり、夕食を共にして、色々おしゃべりをし、
時間もたつのだが、赤子はぐっすりねむっていて、明日は仕事だし、
そろそろ帰ろうか、とベビーベットの枕もとで息子たちにつぶやいたところ、
それが聞こえたのか?目が覚めてくれた。嫁さんと息子の、もう既に熟練した
一連のベイビーケア―を眺めて、それから、抱かせてもらった。

これが、この体験が、私の琴線に触れたようだ。
顔を眺めた時も小さきもの、無力なものへの優しさは自然に出て来たのだが、
抱き上げて、私の腕の中で大人しくしている彼女を眺めていると、
言ってみれば、驚きのようなものと愛おしさというものが、こみ上げてきた。

家に帰って、その時の写真が送られてきて、そこに写っているその婆、つまり私の表情が
何とも言えずに優しいのだ。こんな顔をするんだ!とびっくりしてしまった。
魔女も聖母になるというか・・・

責任がないからかわいいの、というけど、それだけではないだろう。
ある適当な距離を経て眺めているから、
一つの新しい命がそこに存在しているだけなのだけど、
その奥ににつながる普遍的な命すら見えてきて、驚きを引き出したからだ、と思う。

パンチを喰らったように愛の世界に入り込んだのだ。

こういう命は溺愛するしかない、と思う。愛しすぎて悪いことは何もない。