師走のささやき

赤い鳥

大きさは30cmx20cmぐらいの、厚みは10cmぐらいの赤い鳥と書いてある布箱があって、どっしりとした安定感があり、その中には赤い鳥という雑誌が何十冊か入っている、というのは知っていたのだけど、ちょうど二つあるし、飾棚の支えにするためにちょっと仮に、と使っていた。レンガでは無粋だし、陶器でなにかできないものだろうか、とは考えていた。それから14年経った。毎日その赤い色を見ているのだが、心の片隅に引っかかるのだが、これではいけないんだけど、と思っていたはずなんだけど余りにもそこでピターっと場を得てしまっていて、ともかく14年間本を棚の支えにして使っていた。

そしてあるとき、友人が物置になってしまっているカウンターの右端を見て、ここを綺麗にすればカウンターに美女三人が座れるわよ、と指摘。自分でもなんとかせねばと思っていたわけだから、人に言われてやっと目が覚めるという定番で、薄汚さが急に目に入ってきた。14年前に仮にコルクボードを貼ったんだよなあ・・・と思い出しながら、そこいらあたりに手をつけ始めた。カウンターの手前に置いてあった棚を背の低いものと入れ替えた。その時々にいてくれた友人たちのアイディアと手伝いで着々と作業が進んだ。カウンターの下に埋もれていたタンノイのスピーカーを陽の目に当たるようにした。音が全く違って聞こえる!チラシ置き場になっていた丸椅子を撤去、そこを完成させたら、次のコーナーへと目が移り、また次へと移り、模様替えの楽しさにはまっていき、ついに赤い鳥が重荷を背負っている姿にたどり着いた。今度はスグ電話をした、うちの長年のスーパーお助けマン、星さんが30分で行くよ、と来てくださった。だから木製の綺麗な支えが一週間ほどで出来てきて、やっと赤い鳥を外すことができたのだ。外してみて、我が心、申し訳なさがいっぱいだった。まずは本たちに対して、とんでもない仕事をさせ閉じ込めたままにしておいて本当にごめんなさい、ごめんなさい、と小さくなってしまった。それから絵本を愛していたダーリンにごめんなさい。もしあなたがまだいらしたら、こんなことは許されていなかった、と、私は知っていながらやっていたのです、ごめんなさい、あなたの大事にしていたものを大事にしなくてはいけなかったのに、ごめんなさい、これまた平謝り。

ドキドキしながらホルンの形をした引掛けボタンを外し、赤い布の箱を一辺ずつ広げて開けていった。白い紙が上にかかっている。その下には、なんと綺麗なままに赤い鳥たちが皆元気でいてくれたのだ!表紙絵のおとぎ話の主人公たちが一気に外に飛び出し動き回るかのようだった。白地に線画で華やかな世界がさらりと描かれている。色彩が美しい。線が柔らかで優しく、暖かさを感じる。鳥い赤、とタイトルが右から書いてある.ひとつの箱に三十冊ほど入っている。表紙絵それだけで展示会をやりたくなるような国籍不明の異次元の世界だ。大正七年発行。鈴木三重吉主幹。第一号には驚くなかれ、芥川龍之介の”蜘蛛の糸”が書下ろしなのだ。お釈迦様が池のほとりで下を向いていらっしゃるその絵はまさに深い底の方まで見通しているとわかる優しいお姿。北原白秋、島崎藤村、泉鏡花、徳田秋声などなどきらきらした文豪の名前が目次に連なっている。そして彼らの作品全てが子供のためなのだ。

鈴木三重吉が一流の作家達に呼びかけ、この赤い鳥運動を起こした、と巻頭に書かれている。[現在世間に流行している子供の読み物の最も多くは、その俗悪な表紙が多面的に象徴している如く、種々の意味に於いて、いかにも下劣極まるものである。こんなものが子供の真純を侵害しつつあるということは、単に思考するだけでも怖しい。・・・中略・・・「赤い鳥」は世俗的な下卑た子供の読み物を排除して、子供の純性を保全開発するために、現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集め、兼ねて若き子供のための劇作家の出現を迎ふる、一大区劇的運動の先駆である。] 前にあげた以外にも、小山内薫、高浜虚子、野上豊一、野上弥生子、小宮豊隆、有島生馬、森林太郎、森田草平等が賛同した作家たちとして名が挙げられている。中を読んでみると、西洋のおとぎばなし、日本の、中国のおとぎばなしが略されたり甘い調子になったりせずにそのままきちんと入り、合間に詩があり、投稿が有りコマーシャルもある。15cmx20cmの可愛らしい大きさで、80ページほど。定価一冊金十八銭。大正七年というと今から100年ほど前のことです。それが、読めるのです。ちゃんと読めるのです。

復刻版なんだろうか、軽くかび臭くはあるのだけれど、シミもついてないし、ほとんど汚れのない新品状態。夕方に開けたので、テーブルの上に広げて置くことにした。絵本同士がお互いにおしゃべりをし合うのではないか、と思いつつ、電気を消し、部屋を出た。