師走のかきちらし

霜月の書き散らしで 物騒なことを書いたので心配してくださった方がいらした。

ばおばぶでの勉強会はほとんどが月に一回のペースで行われる。
前回荒れたその会の今月の始まりの時に、ファシリテーターが 「傷」という言葉をまずおっしゃった。
癒す試みをこの会で、とお考えになっていた。皆が傷に気づいていたのだ。
私はあの後すぐ、翌朝、自分が大刀を振りかざし切りつけたそのものが 自分の中にもあると気づいた。
だからことを起こした者でもあるし、一番先に私に話させてもらった。

あの時のことを簡単に説明すると、ある方のお話を聞いた後に、私はその内容にいたたまれなくなって、
ついまっすぐにぐさりと切り込んだのだ。”謙虚さのひとかけらもない”、という言葉で。

私の中では 謙虚さということがこのところブームだったので、唐突すぎる反応になったかもしれない、
数か月前にここで書いたのだが、千日回峰行を行った酒井さんという方の所作が美しいという話が要因となっている。

      何故美しいのか、
      荒行をやった後だから、
      何故荒行が美をもたらすのか?
      命がかかっているから。
      
命がかかっているから、
謙虚にならざるを得ない。

謙虚さが彼の所作を美しくしている・・・

これが私に響いていたのだ。で ひょいとこちらへ、藪から棒か?

反省点は   自分の感情、感覚的な反応を、子供のようにもろに言葉にし、
       それを相手に対する思いやりなどひとっかけらもなくぶつけたこと。
       己をコントロールする力が欠如していること。

   
他の方々からの反省点は
       ロールプレイか、リアルプレイか区別がはっきりしていない取り組みだった。
       このところ連続して数回この手のスピーチとレフレクションの組み合わせが続けられたので、
       スピーチの内容に関心が行き過ぎてしまった。
       学ぼうとしていることが何であるか、混乱が来ているかも。

スピーカー本人が遅れていらしたので、私の言ったっことを、もう一度言ってください、と若い人から言われた時は、
同じように話せないであろうという思いでしどろもどろしてしまった。
しかし若い人が自然に当たり前のことを言って婆をたしなめているみたいで面白かった。

又理論的に説明くださった方もいらしたが、残念ながら私には理解しきれなかった。

この会の終わるころには、前よりもより親しくなっている仲間たちがいた。
このような対話を自由にポンポンできるこの仲間のふところの大きさを感じる。
       
Crash & bild がこういうことなんだろうか。これは単細胞の私だけが感じているのだろうか?

       どんぐりの転がり終えてあっち向く   ざくろ

Nob.