如月のささやき

黒い聖母像がモンセラートに祀られていた。
スペイン人はキリストよりもマリアのほうを大事にしているのではないかぐらいで、スペイン各地の教会にはマリア像がたくさんある。教会の中心においてあったりする。
モンセラートもその一つ。
霊験あらたかで、お参りすれば力が頂けるらしい。大聖堂の中で二時間程の行列を作ってやっとその像のところへたどり着いた経験がある。

黒い聖母は世界中にたくさんあるらしい。
なぜ黒いんだろう?という疑問があり、様々に憶測がされているが、最近神話の本を読んでいたらヒントが出てきた。

女神の話だ。
ヨーロッパの石器時代でも既に豊饒の女神像はある。
日本の縄文時代にもヴィーナス像がある。
古代オリエント、インド文明においては大地の女神、豊饒の女神が祀られていた。
命を生じさせ育くむ母性と、様々な生命を生み出し、死を受け入れ循環させる大地の持つ神秘な力に打たれ、敬い、祈願するようになるのは自然の成り行きといえよう。

文明が進み、次第に富が集積され、民族がまとまり、国家形成となると、強いリーダーシップが必要になってくる。
砂漠の民が国家形成に向かったとき排他的な男神が必要になる。
女神たちは排斥され、とって変わられる。旧約聖書の中では、ユダヤ民族の神が自分以外の神を敬うことを徹底的に禁止する、違反すれば怒り、それらを滅ぼす、というような展開となってくる。

キリスト教はユダヤ教から発生した。しかしユダヤ民族だけのものではなく、異教の人々を取り入れながら広まってきた経緯がある。そして男神以前の社会で崇拝されていた土俗的な女神崇拝の流れを、イエスの母マリアを神の母として崇拝すると決定することで、取り込んでいったようなのだ。

マリア信仰に大地の女神の流れが含まれ、そこで黒の聖母像が作られる、ということだったらしい。

男神だけでは、やはりことはうまく運ばないだろう。この三千年ぐらいは男神の支配する世界が延々と続いてきた。これは行くとこまで行くと戦いの挙句に自滅するのではないか、と思われるのだけど。
密やかに生き続けてきた女神のおかげで、まだ滅びないでいるのかもしれない。
もう少し、女神に出っ張ってもらって、程よいバランスをもたらさなくては、と思うのだが。