卯月の書き散らし

又話がクイーンに戻ってしまう。もう桜が咲くだろうという頃なのに、正月に「ボヘミアン・ラプソディ」を見て以来、you-tubeで彼らの歌や情報をつい見てしまったり、CDを4枚も買ってしまったというのは、ハマったというのかしら。

すいません、そうです、なんとなくハマっています。

終わりの方のアルバム”Made in Heaven ”の中にA Winter’s Taleという美しい曲がある。フレディの体調が悪くなった頃、皆でスイスのレマン湖畔の小屋にこもって音楽作りをしていたのだろう。このCDの表紙写真がそこのものだ。湖とアルプスと空と、小さな小屋と、フレディの片手を上げた銅像と。

この曲を聞いたとき、グーっと惹きつけられたのは、私のスイス時代を彷彿とさせてくれたからだ。またまたスイスの話になってしまうのだが、というのは多分私は今いい年なので自分の人生を整理しているんだろう。何度も何度も繰り返して語ることによって、己を確認していくのだろうか。私は25歳から6年余スイスに学生の身分でいたのだけれど、大学の授業にはついていけず、ろくに勉強もせずに、スイスの美しい景色の中で夢のようなとぼけた生活を送っていた。日本の大学ですら劣等生で卒業には単位が足りなく、学生運動のおかげでなんとかおん出されて卒業できたので、実力が全くなかったといってもいい。このことは生涯悔いている、ちゃんと勉強をしておけばよかった、と、出来るならやり直したい部分なのだ。しかし人生全てこれでギリギリ、だったのかもしれぬ。スイスに留学先を決めたのは、学生時代に90日間世界一周というこれまた夢のような素敵な旅行を体験してて、スイスに寄ったことが有り、山好きなので留学するならぜひあそこに、と狙いは定めてあった。

スイスの風景は一言で言えばカレンダーの写真がそのまま。どこもかしこも美しい、So beautiful! とクイーンが歌うように、Am I dreaming? と問いたくなるように、レマン湖畔は本当に美しい。 Magic in the air としか言えないような、Landsqape drowing in the sky,大空に描かれた風景のように,美しい。
そこで私は自分の中の若さ、馬鹿さ、弱さを主人公としてのドラマを演じていた。スイスの美しい景色の中を彼と車で巡っていた、彼が私に見せようとしていた美しさをめぐって、私たちの時間はほとんどが旅だったかも。

クイーンの歌は私が慣れきってしまって当たり前の景色として捉えるようになっていたスイスのその美しさを、美しい、美しいと歌い上げている。彼の残り少ない時間で目の前の景色を歌い上げたのだ。その歌詞が今私に響く。歌は臆面もなく小っ恥ずかしいことを言葉にしている、とどこかで聞いたが、だからこそ人々の心に入り込むのだろう、私の散慢だった体験がかれらの歌でかき集められ純化されここにピカーンと光り始めている。我が青春の love がスイスの景色と溶け合い、クイーンの歌でひょんと半世紀後に光り初めたのだ。しかしあれは夢だったのか?と、
Am I dreaming ? と 彼らは歌っているが、私もひょっとしたらあれは夢だったのか、とつぶやきたくなる。

煙突から煙を出している山小屋はまさにイメージ通りの何も欠けるところのない完璧な山小屋であり、山はまさに山としてそこにある、水は水であり、白鳥がそこにいるし、スイスの景色はそう、何もかけるところのない美しさをしっかりと保っているのだ。ほとんどその自然のすみずみまで人の手が通っている、と聞いたことがあってびっくりしたのだが、人が自然を守っているのだ、そして、自然は人を守っている、そして癒し、感動させている。

スイス滞在を含む10年のヨーロッパでの体験が、とぼけた生活であろうとも、その眺めた景色が、踏んだ土が、訪れた建物が、住んだ家が、出会った人々が、その対話が、食べたものが、飲んだものが、触れたすべてが、今私がカフェばおばぶのオーナーであることの心の自信となっている、と私は気づいた。

そうだよ、確かに現実であったはずだ。でも余りにも美しい部分、あれは夢だったのか、そして今ここでカフェを開いている、というのもひょっとして、夢か? 

     おぼろ月蝶のあそぶは夢うつつ 
  

ほりこしのぶよ