卯月のささやき

完璧と完全 
     perfectと vollkommen, (complete)
   
   辞書(辞海・昭和27年発刊)で調べると、
   完璧とは、傷のない玉、完全無欠、欠点のないこと、
        借りたものを返すこと。
   完全とは、十全、全く、申し分のない、
        かけたところや足りないところのないこと、まったいこと。

この二つの言葉は、ほとんど同じと思っていたけど、
ユングの本の中で、男性性と女性性の対比で使われていた。
完璧が男性、完全が女性。
そう言われてみると、なるほど、とその差が見えてくる。

男と女との間で言い合いが起きる時、お互いをいらいらさせるのは何かといえば、
双方の無意識からくる違和感かもしれない。
完璧を無意識に抱えている立ち位置と、
完全を無意識に抱えている立ち位置は当然見方、理解の仕方が違ってくる。

男同士、女同士の言い合いの場合も、双方の中にある、男性性と女性性が
からんでいるのかもしれない。だから、ひとりの人間の中での男性性、女性性の
そのバランスを取ることが大事となる。

男社会と言われている世の中に長く慣れてきてしまっていて、いろいろな意味で行き詰まりの
感じられるこの頃、だからといって、女性の社会進出が、もてはやされるが、
女性が男性化してゆくことは女性力の発揮ではなく、
それは、まだ男社会の男理論にしたがったものだろう。

長い間男社会に潰されていた女性性の復帰、ということを、考えてみたいのだ。
フェミニストという立場とはちょっと違うのだけど。
というか、フェミニストという言葉の持つイメージとはちょっと違う、ということで
大した意味はないのだけれど、
豊穣の女神の子孫としての立場といったほうが近いかな。

女が女自身を知るべき時なのだと思う。
一個の人間として立ち、歩くため、必要なのは何なんだろう。
己のうちの大地につながる命の力を知らなくてはいけない。
己の内の天につながる古き記憶を知らなければいけない。
そういう非論理的な感じ方に命を持たせたい。

完全の持つ、そして完璧の持たないものはなんだろう。それを学びたい。
緩み、他の可能性へと開かれたなにか、あたたかみ、などかしら。
見えない部分への信頼感もそうかもしれない。
完璧の中にある緊張感をほぐす対のものだろう。

上記の辞書に出ていた、まったいこと、という言葉は。聞いたことがないんだが。
なんだろう・・・まったいこと・・・?