卯月のささやき

啓蟄前からもぞもぞして、私は虫のように変化を望んでいたのだが、旅立つほどのエネルギーは無く、今年はカフェの模様替えをした。ピアノの位置がどうも引っかかっていたので、全体を考え直してみた。

一人よりも二人、二人よりも三人と知恵が加わるとどんどん良いプランが出てくる。ひょっとしてピアノが今の位置を選んだのではないか思うくらい、ピアノは終の場を得た。あと数箇所家具やらモノの位置を変えて全体がすっきりとしてきて、とても嬉しい。一番奥の席は椅子の向きを変えただけなのだけど、座ってみると落ち着き具合がまるでちがう。前より利用する人が増えている。その席の上に高窓があり、今は八重の紅椿とさくらのソメイヨシノが額縁の中の絵のように姿を見せている。

美しさはある種の緊張から来ているかも。美しさには無駄もないだろう。実用の美とも言うから、使いやすくもあるのだろう。

その居心地のよくなったカフェに息子夫婦が孫を連れて遊びに来た、模様替えをしてくれた息子も遊びに来て春の午後をのんびりと、孫がやっと人見知りを克服して遊んでくれるようになったので婆は喜んでいたのだが、パパになった息子がが突然、自分たちの育った環境はめちゃめちゃっだったよなあ・・・と話し始めた。パッと反応してしまった親の私は愚かで、彼の話をもっとじっくりと聞くべきだったと今は反省この上ないのだが、だけど、と私は反論してしまった。それも我の強いことこの上なく、私の心はまっすぐだったんだから、と、弁明をしてしまったのだ。あなたたちは皆一人前に育ちあがっているでしょう?と念を押してまでいる。

いつだってこうだったのかもしれない、どうしよう。我をなくす、とか、己を捨てて、とかひとりでいるときはなるほど、我が欠点はそこに有り、なんて思って、そうしようと思い、少しは努力もして前よりは出来ているつもりだったりしたんだけど、現実には一瞬にして元の木阿弥、我我としたばあさまに戻ってしまう。この手のことは家族がモロ影響を被っているのだ。ごめん。

彼の言うとおり、ひどい環境だったのは確かで、子供たちは安心感のないところでバランスを取るのに苦労していたんだろう。子どもの幼稚園時代からの友人に言わせると、よくぞあの地獄が、今のこの天国に変わったよねえ、との感想だった。まさにそうだったんだろう。しかしあの頃だって、私は一生懸命だったんだし、と小さな声で言いたい、今よりおバカさんだったのは確かだけど、今も十分おバカさん?う~~ん・・・

ダーリンに逝かれてしまってからはもっと突っ張っていたのだろうか? 思春期の息子三人を育てるのと、カフェを始めたのも同時期で、いま15年経つが、
まさに奇跡の15年だね、何がどう作用したんだかはっきりとはわからんけど、こんな素晴らしい三人の息子たちと、素敵なカフェ!おわりよければ全て良し!感謝、感謝、感謝!!!