卯月のささやき

卯月の始まりに啓蟄という言葉から語らせてください。私の時間の流れと、暦の流れとに、あるいは実際の日々の過ぎゆくスピードに少々のズレがあるようです。

啓蟄とは 「陽気池中に動き、縮まる虫、穴を開き出ればなり」と暦便覧にでているらしい。

春の気配は地中にも及び、眠っていた虫を活性化させる。冬ごもりが終わり、生活を変えるにふさわしい。何十年か前の啓蟄のとき、私はそれまで一緒に暮らしていた男にほとほとうんざりして、彼から逃げることにした。雪の降る晩、突然今だ、と車のキイを掴んだのだ。

陽気は身体的に臍下丹田あたりからハートにかけて蠢く。脱皮の時なのだ。虫も私も一緒だとわかると、人は一個の生命体であると、知る。

今年の啓蟄ドンピシャリには、我が家から息子が一人巣立った。世代を超えて、虫の世界と連帯をしているのだ。

家で仕事なので、閉じこもりがちな私も、穴を出た。六本木の新国立美術館でKusama Yayoi草間彌生展をやっている。食わず嫌いだったのだが、かなりの規模の作品展らしいし、なんてったって彼女は同時代の大作家なんだから、その作品を体感したくて行った。毒気に打たれるんだろうか、とちょっと心配だったのだが、まるでそうではなかった。順路一番の大広間に入ったら、壁全体にびっしりと絵画がかかっていた。布にしたら美しいだろう、という模様で埋められていた。私が服飾デザイナーだったら、ぜひこんな布で服を作りたい、と思った。着てみたい、とも思った。色彩も多様ですばらしい。その空間は撮影可ということもあり、たくさんの人々が作品の前で写真を撮り合っている、花ざかりの公園のような明るい幸せな空気が満ちていた。この人は三次元の水玉オブジェで有名だけど、絵画の方がずっといい、と思った。その後の部屋も職人芸のごとくに緻密な作品に満ちていた。こんなにたくさん描いたというのだから、その生命力の凄まじさに打たれる。アメーバーとかウイルスとかを彷彿とする感じもあった。命が蠢いていた。オブジェでこりゃなんだ?一瞬バナナか、ソーセージかと思ったんだが、男根らしい。びっしりと椅子やらなんやらについていたけど、大作家さんは遊ぶのですね。アーティストってある意味幸せな人たちなんだろうな。病気だった?病気の一つや二つアクセントでしょう、息抜きでしょう。

この新国立美術館というのは規模の大きさがすごいのだろうか、同時にMuchaミュシャ展をやっていたのだ。何気なく足を向けてしまったのだが、一日に二つの展示会はきついのがわかっているのだが、入ってびっくり。花と女性のアールヌーヴォーの世界を予想していたら、そこには6mx8m!!とかいうサイズの大画面にスラヴの歴史が、それも20枚!!!空中に浮かぶ祭司、アラブ風の衣装、幻想的な神々と人々の混ざった景色は映像のようでもあり、霧がかかったような巨大画面の中で人々は動き出すのではないかと思われるほどにリアルに迫った来た。唖然として見上げるしかなかった。彼独特の絵画やポスターも後半の別室にあったのだが、私はもう既に疲れ切ってしまい、もうろうと通り過ぎただけだった。

本当に疲れた。小さなカフェの日常の世界から突然生命蠢く草間空間と、遠いスラブの賛歌響くMucha空間に取り込まれ、そのエネルギーの大きさに私は潰され、三日ほど体が言うことを聞かず、四日目の朝にやっと、もとの自分に戻った。